Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

武尊山山行(1)

2009年09月22日 23時51分31秒 | 山行・旅行・散策
 日曜日の朝出発して上越線沼田駅まで。友人に沼田では団子汁が売りとの情報をその日に仕入れて期待していたものの駅前では残念ながら食すことはできなかった。
 駅前のコンビにで店で作っていた味噌バターをぬったラスクとパンの耳を揚げたものを非常食として購入。バスで川場村の温泉まで行き、いこいの湯につかってから、タクシーで旭小屋へ。
 ゆけむり街道と名づけた道路沿いはフラワーロードとして道路沿いの民地に赤いサルビア、コスモスがぎっしりと植わっていた。休耕田や工作していない畑にも咲いていて、目を奪われる反面、作物の実りではなく飾ることで覆われた一抹のさびしさ、そのような行為を選択せざるを得ないむごさも感じた。
 旭小屋は立派な村営避難小屋。手入れも行き届き、布団も大量にあったが私が見栄を張って敷布団一枚、毛布一枚を利用して寝袋に寝たが、妻は寒い寒いと寝られなかったようだ。水場の水はちょろちょろで濁っている代物。直下の川は上流が野営場のため利用は控えた。ただし300mほど下のコンクリート製の橋のそばに水場がしつらえてあってよい水が手に入った。
 朝6時半に出立。登りは鎖場・はしごが連続するという不動岳は妻が同行していたため除外。本当は昔ながらの信仰登山の道だったので登りたかったが、ここは自重。川場野営場を経由して前武尊山に直登。紅葉が始まったばかりの山だが、かえって点在している黄色や赤に見事に色づいた樹が際立って目立った。特に明るい黄色は花とも見まがうものも多かった。
 樹林帯の中の前武尊につく直前に妻がバテバテ。頭痛もあり、過労と高山病かなと思われる症状。途中スキー場の最高点の脇を通過、眼下に見下ろすスキー場は木々の豊かで美しい山肌に刻まれた巨大な亀裂のようで痛々しい。もっとも私自身も上越のスキー場をかつてずいぶんと利用させてもらったし、蔵王や北海道のスキー場もつい最近まで利用していた。だからスキーそのものへの批判などできないのだが、しかし山から見るとやはりこれは大きな傷だ。
 一方山の大いなる生命力もすごいもの、リフトなどの鋼鉄の施設を含むその傷を包含していづれは木々や下草で多い尽くそうとしているような勢いも感じた。今のところは山の生命力に許された範囲のスキー場なのかもしれない。
 前武尊山のヤマトタケル像の後ろで早いがオニギリとパンと紅茶の昼食。多少元気の出た妻をなだめ元気付けながら先に進む。この山、笹に覆われてその起伏や隠された山肌の厳しさはなかなか見ることはできないが、それでも時折顔を出す切り立った崖から山全体の荒々しさが見る者、歩く者を圧倒する。
 途中の川場剣ヶ峰は柱状節理の巨大な岩山。北半分は鎖場で超えることはできるようだが、これも本道になっている迂回路の方を通過。途中の「家の串山」は剣ヶ峰とはちがってなだらかな山。中ノ岳は頂上は踏まないコース。途中地図では「笹清水」という水場が記されていたがとうとう見つからず。三つの池があったが季節的にかなり水量がなく、一つは干上がっていた。
 予定より1時間45分ほど遅れて、ヤマトタケルのもう一つの像の前を通って14時半に、武尊山までようやくたどり着いた。中ノ岳近辺からは、川場剣ヶ峰と違って、板状節理。薄い板状の岩が登山道にも敷き詰めたような具合。そのために浮石が多く歩きにくい。
 もう一つの2000m峰の剣ヶ峰はこの時間なので割愛。しかし考えてみれば昼食一時間を除けばコースタイムより45分遅れだから、決して悪くはないタイムかもしれない。
 日ごろは「雨男」と言われ、自嘲気味に「嵐を呼ぶ男」と自称する私が山に出かけて晴れる確立は2割以下という実績だが、この日は雲ひとつ無いという表現がぴったりの天候。前武尊からは東側の皇海山・至仏山・黒檜山。武尊山から360度の展望を得ることができた。上野・越後・信濃境の山々は特徴的な山容を誇るので、この眺めは至福のひとときであった。
 下山は最短コースの浦見の滝コース。登りは妻がバテバテだったが、今度は私の右ひざが心配したとおり前に進まなくなる。一昨年までの山行で傷めてはだましだまし使っていた右ひざを早池峰山でとうとう潰してしまった。岩の苔に滑り全体重がかかるように捻ってしまった。
 内視鏡手術を受けてタウンウォーキングには耐えられるようになったものの、山での下りはやはりダメ。コースタイムがやっと。妻のほうがどんどん先に行ってしまって追いつけない状態。これはとても情けない、メンツが許さない事態だがどうしようもない。
 結局ほぼコースタイムで武尊神社・浦見の滝まで到着。途中、手小屋沢避難小屋そばの水場で水を汲もうとしたが、気力もなく水無しで武尊山から2時間歩く。ほぼ下り終わった頃、小沢沿いでようやく水を一息。良い水であった。
 武尊神社に着いたのが17時半。朝出てから11時間丁度。日がすっかり隠れて暗くなっていた。こんなに遅くまで歩いたのは初めての経験。下りの最後のところで一本だけ黄色く輝く高木を発見。その木にだけ夕日が当たり葉がきらめいていた。よく見ると蔓状の大きな葉が一本の高木を多い尽くして金色に夕日を浴びていたのだ。周りの深い緑の木々から孤立して一本だけが舞台を踏んでいるように、荘厳にも見えた。ひょっとしたら昔の修行者が仏や神を見た幻想のいったんだったのかもしれない。