Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

街中は余計なお世話ばかり‥

2009年09月26日 01時17分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年の所為、といわれることがいくつかある。そのひとつが、過剰サービスへの反発が強くなったことだ。街中へ出かけるたびにストレスがたまる。
 居酒屋で、レストランで、大きな総合病院の受付で、駅の券売機で、大店舗の案内板の前で、銀行の入り口で、旅館の受付で‥、やいのやいのとうるさいこと、おせっかいのひどいこと、押し付けがましいこと、極まりない。
 いつから日本はこんなになってしまったのだろう。
 「小さな親切、大きなお世話」「おせっかい高じて、大きな迷惑」と背中に幟旗でも差して、桃太郎さながらに歩いてみたくなる。
 これだけの過剰サービスを仕事として強制される店員は、さぞかし仕事を離れたら、絶対に人に優しくはしないだろうと推測する。

 とここまで書いていてフト、妻の一言を思い出した。
 妻の一言の前に、私がついおこなってしまう癖について一言。妻はベランダにて草花の寄せ植などを楽しんでいる。それを眺めているうちに咲いた花々、めしべ・おしべを見ているとつい受粉のお手伝いをしたくなる。よくニュースでりんごなどの受粉に精を出す農家の方を映し出すことがあるが、あれと同じだ。そして団地の草花が咲いているのを見てもつい、そんなことをしたくなる。
 妻に言わせると本当に「余計なお世話」である。人の「善意」をきらう私とは正反対の「私の勝手」である。
 本当は甘えたい願望の裏返しなのだろうか。

 本日はもう一つ。福島の友人に文章が難しい、と云われた。人に見てもらうことはそれほど重視していないので、ついつい長く、思い込みを客観視せずに書き綴ったためそうなったと思う。友人にのぞきに来て、といいつつそんなことを考慮せずにいたことを反省している。
 でも文体というのはそう簡単に直るものでもないことも確かだ。他人の目を意識しながら、わかりやすい文章を心がけよう。