ターナー展は先月21日(木)に訪れた。特に混んではいなかったのでゆっくりと見ることができた。カタログを見たら本日が東京都美術館での最終日となっている。もうそんなに時間が経過したのかとびっくりしている。
実は今から24年前の1989年2月に横浜のそごう美術館でターナー水彩画展が開かれている。そのとき鮮やかな色彩の水彩画を見て感銘を受けたことをよく覚えている。
今回の展示と比較して随分おもむきの違うと感じた。それは水彩画と油彩画の差であると同時に、水彩画自体もいろいろな雰囲気の絵を描いたのだな、という印象を受けたためだ。どう違うのかははっきり言えないが、今回の展示はどちらかというと水彩・油彩ともに未完のものが多く、描かれている対象が曖昧な輪郭・朦朧とした印象である。前回は初期の水彩画が多かったためかと推察している。
今回の展覧会で最初に私の目にとまったのは、1797年22歳のターナーがロイヤルアカデミーに初めて出品した油彩画「月光 ミルバンクより習作眺めた」。月を正面中央にすえて周囲が暗く沈んでいる。晩年になるにしたがい太陽を描くことが多くなった画家であるが、この落ち着いた静寂の中のテムズ川は、とても好ましく感じられた。いろいろの人の影響を消化した成果があるとのことだが、月の光の描き方はターナー独自のような気がした。
この絵、はじめは水彩かと思ったが油彩であった。
1802年27歳、アルプスを旅した時の作。セザンヌのサンヴィクトワール山の絵を思い浮かべた。山の形の描き方、幾何学的な把握も、配色も似ている。前景の白い建物のような塊は街なのであろうか。左の黒い塊は人の群れか木立が、はっきりしない。この白と黒の水平線が画面を上下に切っているのが不思議な感じである。これが画面を右へと広げる効果があるようで、右奥の青と白の遠景の山が浮き出る感じがする。構図的には禁じ手であるのに‥。
これも1802年作の「エジプトの第十の災い:初子の虐殺」。モーセが出エジプトをファラオに認めさせた際の、神のエジプトの民への10の災いの最後のもの。これを目の当たりにしてファラオはモーセの求めを認めたことになっている。モーセとはむごいことをする神である。
この絵は歴史的出来事、あるいは聖書の記述という題材を描いているが、人物は小さく描かれ題を見ない限り何の題材かはわかりにくいと思う。風景画が主体である。しかしまだまだ、風景画として自立した絵画とはいえないと思う。物語にあわせた不気味な天候の風景なのか、不気味な風景を描くために物語を配置したのか、わからないが、出来た敬意からは前者ではある。しかし本当の作者の意図は後者のような気がする。
左上の雲間から日がさして右手の建物が日向になっている。子を失った女性に当たる日の方が弱い。いろもくすんで緑の森に消えてしまいそうである。物語性は希薄だ。
こちらは1810年35歳の時の「グリゾン州の雪崩」。実際に雪崩で山小屋が潰され25名の犠牲者を出した事象を描いているらしい。
まず私はこれが雪崩だとは気付かなかった。解説によると技法上かなりの工夫を加えて雪の押し寄せる臨場感を出そうとしたようだ。そして右中の大岩が木造の建物を今にも押しつぶす一瞬を描いているということがわかった。
私はこの絵を見て、クールベの絵を思い出した。雪の質感がクールベの大きく覆いかぶさってくる大波の絵を連想させたから。クールベのほうがずっと若いが一部生存時代は重なる。人のいない風景画が、自然の力として大きな迫力をもって表されている。このような瞬間を表現することが求められた時代なのだろうか。ちょっと大仰な気もするし、ターナーの世界からは少し異質な気もした。