Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の作業は終了

2013年12月15日 21時14分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から団地の管理組合が実施している大規模修繕工事のごく一部の完了検査のために五階建ての屋上まで足場を上った。久しぶりに工事用のヘルメットを被り、落下防止金具を着用した。現役時代は毎日のようにヘルメットを被って現場周りをしていたので頭に被ると懐かしい。
 しかし建築現場での経験は無いので、修繕跡を見てもなかなか着眼点が定まらない。いろいろ業者に頓珍漢な質問を繰り返しながら少しコツを覚えたと思ったら、すぐに一巡が終ってしまった。ちょっと情け無い思いもしたが、最低限の役割は果したかと思う。
 しかしこのヘルメット、40年前の布製の紐から随分と進化した。現役で仕事をしていたときは、電気絶縁用の発泡スチロールも詰まっていて蒸れて煩わしかった。本日は一番簡易なものだったので特に違和感はなかったが、逆に大昔のヘルメットの感触が少し蘇った。
 19歳の学生の頃からヘルメットを被ることには慣れていたのだが、懐かしいという感情を持つとは思わなかった。デモ用のヘルメットはちょいと懐かしいというよりも、苦い思いの方が強いので実際にもう被ることはありえないだろうが、そのことは自分の人生の中の一齣として否定などしないし、かといって誇ることとも思わない。無かったことのように捨て去ることは断じてないが‥。

 その後、仙台市などで行われた女子駅伝を見ながら、住所録の整理や補正を行い、年賀状の宛名書きだけは印刷することが出来た。丸一日かかってしまった。住所録の整理、補正に時間を取られた。やはり使い慣れないパソコンは時間がかかる。また住所録の補正をここ数年していなかったので、電話番号などの情報がうまくまとまっていなかった。これを補正したことも時間がかかった理由だ。また同じ分類のものでもあて先によって、差出人が私一人のものと、妻と連名のものに分けて印刷する。これも時間がかかる理由になる。
 来年には新しいパソコンで、住所録をいくつかの大項目で分類、分割して保存したほうが便利のようだ。

 夜になって文面を仕上げにかかった。あと少しで、年賀状の文面の第1案ができる。この第1案は、学生時代の友人向けのもの。これを少し変えて組合関係の友人たち向けのものを作る。第3案はごく一般的な年賀状形式にして親族向けと妻用のものにする予定。

 このテンポでこなしていって果たして、ターナー展と下村観山展の感想が年内に書ききれるだろうか。ちょいと心配になってきた。


「川瀬巴水」再考

2013年12月15日 15時29分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今日の朝何気なくテレビを見たらNHKの日曜美術館で「川瀬巴水」を放映していた。現在千葉市美術館で展覧会を開催しており、その紹介を兼ねての放送であった。実は大田区立郷土博物館「川瀬巴水―生誕130年記念―」を来年の3月2日まで開催している。こちらは年明け草々にでも第2期の展示を見に行こうと思っていた。1月25日から第3期の展示となるらしい。
 また千葉市美術館の展覧会は来年1月19日までだが、全国を巡回するらしく横浜展(3月19日~3月31日:横浜高島屋)と表示されていた。不安なのは千葉市美術館は広い展示場だが、横浜の会場ではあのような広いスペースは確保できない。展示内容が縮小してしまうのであれば、千葉に見に行きたいものである。
 このブログでも以前に川瀬巴水は幾度か取り上げた。本日の放映には映画監督の大林宣彦氏と、作家の林望氏がコメントしていた。その中で林望氏は、巴水の作品の特徴として「水」「夕景」を揚げていた。同感であるが、私は「水辺」「月夜」「雪・雨」「明かり」「巨木」だと思っている。現在という時点からみて懐かしい風景ということでは都市化の中で消えそうな「水辺」や「明かり「月」が懐かしい。
 また大林宣彦氏は風景の大胆な切り取りという点を指摘していた。金閣寺や芝増上寺などの作品はそのとおりである。さらに「小さな明かり」ということを指摘していた。
 私も気がつかなかったのだが、「東京二十景」のシリーズは、関東大震災で壊滅的打撃を受けた東京の暗い夜の街を浮かび上がらせる「小さな明かり」に着目しているというのである。なるほどと合点した。単に「明かり」ではなかったのだ。風景を浮かび上がらせる「小さな明かり」が、重要なのだ。壊滅的な打撃を受けた東京の夜に小さな明かりをたよりに浮かび上がる風景を描いていたと理解することが大切であった。鉄橋を行く人力車を照らすガス灯や提灯の灯火、これが都会の夜を灯していたのだ。
 そして私は「点景としての人物」に注目していたが、絶筆の金色堂の後ろ向きの僧侶などのようにわざと顔の表情を描かずに後姿を描いたという表現を大林監督はしていた。映画監督の目からはそのようにとらえられるのであろう。これも参考になった。
 「点景」というよりも「表情を隠した」「後ろ向き」の人物に人生を感じさせるという手法なのかもしれないとも思う。顔の表情が出ている作品にどうも私が今ひとつピンと来なかった理由のひとつかもしれない。
 ネットなどでは「現代の広重」という表現があるが、これは果たしてそのまま受け入れていいのだろうか。広重の風景画の斬新さはあの特異な視点、構図、そして強調である。これは単なるこけおどしの絵とは違う力がある。川瀬巴水という人の作品は確かに視点がいい。構図の切り取りもすごい。しかし度肝を抜くというような奇抜さはない。この奇抜さがないということが作品のすぐれた点であることを考えると、「現代の広重」というのはちょっと違うとおもう。「郷愁の画家」といってしまっては俗っぽ過ぎる。もう少し的確なキャッチコピーが欲しいところである。