Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

スマートステラ

2013年12月01日 23時47分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日スマートステラという星座観測用のアプリをダウンロードしてみた。ずいぶん便利なアプリである。星を楽しむにはもってこいであろう。
 暗い中で星座早見表を目を凝らしていた小学校の時に比べたら、こんなに楽しいアイテムがあることが信じられない。

 しかし星の観測を止めて40数年、こんなにも何もかにも忘れてしまうものなのか。星座の名は覚えていても、位置関係はシドロモドロ。一等星の名も、一生懸命覚えた特徴的な連星や変光星、星雲などすぐには出てこないし、ほとんど忘れている。情けないことはなはだしい。名前が出てこないのでいらいらしてしまう。
 まあ一度捨て去った世界である。封印した力と断念の仕方が自分なりに強引だったから、やむを得ないのかもしれない。自然な忘却ではなかったから。でも最近無性に懐かしくなることが年に数回ある。今は封印し続ける必要は無いのだが、素直には楽しめない自分を否定できない。このままにしておくしかない。
 嫌なことがフラッシュバックように頭の中を掻き乱す。クラシック音楽でいうと、ベートーベンの交響曲を聞いている時にそんな状態になる。しかし、もっとつらい。クラシック音楽の場合、室内楽という別の道から通り抜けられるが・・・・。そしてこの場合は少しずつ頭の中のこだわりの元ともいうべき小さな核が溶けてきている。40数年いろいろあったけど聞き続けてきたり、手放さなかったものがあったからだと思う。聞く曲を大編成の音楽中心だった昔に比べて、小編成の室内楽に、さらに独奏へと移しながら聞き続けてきた。あるいは叫びや咆哮のような音楽から祈りや瞑想の曲へ変えたことも功をそうしたかもしれない。時々大編成の曲を聴くようになっても、その鋭い音が自分に突き刺さらなくなってきた。

 星を見る時、その青い光が私を射すくめるようなことがなくなるのは何時のことだろう。それまで生きているだろうか。半年前、オーロラツアーを思い切って言い出しっぺになってみたが、あの光は私を押しつぶさないだろうか。不安が頭の中の石灰化したある部位をつついている。私が抱えているかもしれないごくごく小さい不発弾。影響はまったくないかもしれない。念のため古い友人たちとのツアーにしたが、それは正しかったのだろうか?

 夜にこんなことを考え続けてしまった。他人には到底理解できないこんなことを書き続けても意味のあることではない。単なる意識の乱れで終わるだけかもしれない。

 ふと、正気に戻ってみたらこのアプリの値段が1000円となっていた。毎月これを支払うのはつらい。夏場に山に行くときなどだけに限ってそのときだけインストールする方が良いようだ。そしてこの時、頭の中に巣食っている小さなかたまりがほぐれて溶けだす要因になればいい。

 取り留めない、思いが駆け巡った夜であった。

【訂正】
 このスマートステラというアプリ、毎月1000円ではなく、1000円/1回ということであった。関係者から訂正の申し出があった。大変申し訳ありませんでした。お詫びして訂正いたします。1回の支払でずっと追加料金無しで使用できるとのことです。



シンポジウム「遣唐使とユーラシア世界」

2013年12月01日 22時14分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は横浜ユーラシア文化館主催の「遣唐使とユーラシア世界」というシンポジウムに参加した。 
 はじめの石井正敏氏の報告は、書紀・旧唐書・日本紀略・菅家文草・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・延喜式などから遣唐使に言及した箇所を抜書きにした資料を見ながら、20回にわたる遣唐使の実相を浮き彫りにしてくれた。年表も整備してくれてわかりやすい説明が嬉しかった。
 石見清裕氏の報告は東部ユーラシア世界という視点から、ソグド人といわれた人々を含めた極めて国際色豊かな唐、それも首都長安の繁栄、安禄山や史思明がソグド人で会ったことなどの指摘があった。
 商人として唐までたどり着いただけでなく、既に中国国内で各都市に定住していたり官吏として登用されたりしていたことなど国際色豊かな長安の実相も語られた。
 菅谷文則からは考古学の立場から文物の分析からソグド人などの役割について報告があった。



 遣唐使の視線は文明国としての唐からの仏典・国家制度としての律令などの輸入に留まらず、ソグド人などの活躍を見ながら唐に限らない世界、唐の向こう側の世界をも冷静に見ていただろう遣唐使の目を指摘してもらったと思う。
 文物や経典・律令が唐からもたらされただけでないようだ。西域起源のガラス器・楽器等が単に「もの」としてもたらされただけでなく、すでに「世界」がそれだけ大きいものとして認識されていたことになる。その「世界」のシンボルとしての文物という役割があったように思えた。
 またソグド人・ペルシャ人も遣唐使と共に日本に渡ってきて定住していたことなどもあらためて紹介された。彼らの服装の一部が日本の女性の衣服や僧侶の衣服にも影響を与えていたらしい。
 繰り返しになるが、唐という国が世界文化の大きな中心地ということだけでなく、唐という国自体が国際色豊かな他民族国家であったという印象を受けた。遣唐使は唐という国を通してより広範囲の国際社会を見つめていたことになる。

 さらに唐という国家にとって、東の日本という国家よりも北方や西方の突厥や吐蕃に対する対応の方が腐心の対象であったとのことである。唐の日本に対する評価など、客観的なユーラシア地域の情勢から見た日本の立場を考えると、新しい視点に気がつくものである。
 唐からの使節の迎え方など小「帝国」日本の二枚舌対応が破綻寸前だったことなども理解できた。

 浅学の私にとってはなかなか刺激的なシンポジウムであった。

   

 なお遅れていたユーラシア文化館の展示品のカタログが販売されていた。私がとても気に入ったものを掲げてみる。この美しい緑色の水注は魅力的ではないだろうか。