Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨の一日

2013年12月19日 22時38分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年最後の講座を聴きにみなとみらいまで出かけた。朝はほんの少しの雨なので横浜駅まで歩いたが、家を遅く出たので横浜駅からはみなとみらい線に乗ってしまった。
 講座終了後に表を見たらかなりの雨。外でおにぎりを食べるわけにも行かず、久しぶりに定食でも食べてみようかとランドマークタワー内を歩いてみた。サラリーマンでどの店も満員。1階から地下1階と満員が続き、地下2階まで降りたもののビールの専門店を除いて満員。地下2階を2周ほど歩いているうちに居酒屋が空いた。午後は講座も無いし予定も無いので、焼き魚定食を頼んだときについ、お酒を1合頼んでしまった。
 カウンターの傍の席のOL3人連れの、楽しそうな話しやその内のひとりの連れ合いのたわいもない悪口を聞きながら焼き魚をツマミに飲んでいたら、いつの間にか13時も過ぎてあっという間に店はガラガラ。店員が忙しく後片付けを始め、何となく邪魔みたいなのであわてて会計。
 やはりランチタイム時にチビチビお酒を飲む客は冷たくあしらわれるようだ。

 13時半になっても雨は小ぶりになるどころか少し強くなってきたので、再びみなとみらい線で横浜駅へ。有隣堂をぶらついて帰宅。入れ違いに妻が買い物へ出かけ、私はそのまま何となくベッドに行って寝てしまった。
 どうもしまりの無い一日になってしまった。ターナー展の感想も今ひとつしまりが無いようだ。

 明後日には下村観山展の感想も書いてみたいが、出来るだろうか。

 明日は関東地方の天気は荒れ模様らしい。風が強いのはつらい。



「ターナー展」感想(2)

2013年12月19日 20時23分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 この絵は1828年53歳の時の作品で「レグルス」。
 古代ローマの軍人レグルスの逸話(第一次ポエニ戦争でカルタゴの捕虜になり、ローマとの交渉役の結果カルタゴで瞼を切らて幽閉され、牢獄から出されたときに陽光を浴びて失明の上殺害される)に基づく。物語の主人公レグルスがどの人物かは解説を見てもわからないくらいに人物は判然としてない。建物も光にかき消されるほどに太陽の光が圧倒的に画面を支配する。この強烈な太陽を描いたことに当時は賛否両論があったらしい。私はこの物語を使ってターナーという画家がイギリスとは違う地中海の強烈な太陽を画面に固定しようとしたと理解した。私もイタリアの明るく、湿気のない太陽の光に感銘を受けた。風景ものものを劇的に描こうとした画家の意志が感じられると思った。
 このような太陽を私は見たことがない。日本の太平洋岸や日本のアルプスでの日の出・日の入の光景はとても柔らかい。水分を含んでいて情緒的な太陽だ。地中海は日本の自然とは違う自然に支配されていると肌で感じた。多分ターナーもそう感じたのではないだろうか。



 この絵は1832年57歳の作品で「チャイルド・ハロルドの巡礼-イタリア」。バイロンの物語詩に基づく絵という。
 この作品は先の「夏目漱石の美術世界」でも「坊ちゃん」に出てくるターナーの絵の候補として「金枝」(1834年)とこの絵の版画版が展示されていた。ローマの松はこのように枝が上の方で別れ葉は天辺に開いたようにしか付かない。ただし「坊ちゃん」会話の中で幹が「真直」という赤シャツと「曲がり具合」を指摘する野だとの掛け合いからは、「金枝」の方が漱石の頭にあったような気はする。
 あるいは日本の松とイタリアの松は似ているわけがないので、赤シャツと野だの知ったかぶりを茶化しているとすると、特に具体的な絵のことを念頭においた会話ではないとも思われる。漱石がイギリスで見た印象深いターナーを念頭においていただけというのが実際のところかもしれない。
 この二つの作品、ターナーのほぼ同時期の作だが、私の好みでいえばこちらの人物の方が動きが自然であるし、水(湖か?)がはっきり描かれていて好ましいと思う。ターナーは水が描かれていないとターナーにならない、と勝手に思っている。



 この「日の出」は1835~40年にかけての水彩画とのこと。画家は50歳代前半である。
 水彩画として未完なのか、完成なのか、あるいはスケッチなのか、習作なのか、知りたかった。どうも発表を前提としない習作のようなものらしい。つかの間の一瞬をすばやく描きとめているその手並みに感心すればいいのだろう。
 初期の人物を配したり、歴史画に題材をとりながらも風景に力点を置いた作風から、劇的な気象の場面の風景へ、そしてごくありふれた風景そのものが自立的に扱われるようになってきた流れを再確認できたように思う。風景そのものが画家の主要な関心を引いているのだと感じる。ごくありふれた風景そのものに人間と自然の関わりを見出したり、自然を見る観方に個性を発見したりするようになったのではないだろうか。
 私はこの「日の出」を見てモネのあの有名な「印象・日の出」(1873年)を思い浮かべた。このような作品が、自立した風景画として紆余曲折はあれ成立するまでには、しかしまだ40年という時間が必要であったということである。しかもイギリスではなくフランスという土地でなければならなかったようだ。

 1851年に76歳で没したターナーの作品は、ほとんどがイギリスのテート美術館に遺贈された。今回のターナー展は、このテート美術館のコレクションから油彩画30点と水彩画など80点が展示されている。
 昨日も記載したが1989年の横浜のそごう美術館での「ターナー水彩画展」は、ジョン・アンダーソン(アメリカのコレクター)の収集品によるものであった。
 そしてほとんどが制作年代が不明のうえ、順不同に並べられていたので、ターナーと自然の関わりの変遷はわからなかった。だが、当時のターナーの絵は今回展示された作品よりももっと色彩が鮮明であった。

   

 その時印象に残った作品は、上が「城の入口」(1828年)、下が「大気、海」(1842年)となっている。
 「大気、海」と今回の「日の出」とは相通じる自然把握であると感じた。
 油彩画よりも自然把握がより現代的に表現されているとあらためて感じた。
 しかし同時に、水彩画と油彩画の印象の違い、鮮明な形態描写・色彩と、朦朧とした形態描写・色彩の差、年代による差について、一概にはいいきれないものを感じた。
 これからもいろいろと勉強しなくてはターナーという画家の全体のイメージは出来上がりそうもない。
 こんなことを考えながら会場を後にした。