Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲」

2023年04月18日 22時32分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 いつものように「方丈記」の書き写し。長い第2段の7割程度が終了。

 書き写しをしながら聴き始めたのは、ドヴォルザークの「ピアノ三重奏曲」の第1番と第2番。スークトリオの演奏で1977年の演奏。1987年の発売となっている。

   

 書き写しをしている方丈記の凄惨な飢えの蔓延する京の描写と、曲想はまったくそぐわないかもしれない。スークトリオの透明な音を聴きながら、鉛筆がノートを走る音も同時に聴いていた。
 ドヴォルザークのこのピアノ三重奏曲全4曲では第4番の「ドゥムキー」が有名だが、他の3曲も含めて、全曲とても気に入っている。
 ピアノ、ヴァイオリン、チェロ3つの楽器のバランスもよく、聴きやすい。私の耳には好きなチェロの響きが特に心地よく聞こえる。


葬儀の段取り

2023年04月18日 20時30分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後から亡くなった会長の訃報を作成し、葬儀の段取りや要員配置、連絡先の確認などで時間があっという間に過ぎた。17時を過ぎてようやく本日の打合せは終了。

 葬儀というものは慣れてしまいたくはないイベントである。そして毎回さまざまなことが発生して右往左往する。なかなかスムーズに手際よく終わるということはない。
 30年も前では、葬儀というのは参列者もたくさん集まり、盛大であった。会社や職場全体、地域の住民も含めてお手伝いなどもたくさん来てもらったものである。現在は家族葬中心で参加者も少数に限られている。
 地域や職場を巻き込んで大きなイベントのような葬儀については評価は別れる。しかし地域との接点などが無くなってしまったような葬儀はどこか寂しいものである。近親者だけの葬儀ばかりでは、葬儀社もなかなか厳しい状況が続くのであろうか。

 本日は疲れてしまったので、退職者会ニュースの原稿づくりは明日からに先延ばしすることにした。仕事の先延ばしはいいことではないが、無理は禁物。


葬儀が続く

2023年04月18日 13時15分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日から退職者会ニュースの原稿づくりを始めようとしたが、2月に続いて葬儀となってしまった。退職者会の前会長が2月に急逝、再建された組合の初代委員長でもあった会長の葬儀と偲ぶ会をおえたばかり。今回は現会長の急逝。
 ともに病気療養中であったが、あまりに早い急逝に驚いている。現会長は亡くなる前日の夜には退院して、他の役員とメールでのやり取りをしたばかり。

 退職者会としての慌ただしい対応が続いている。ニュースの予定の記事もすべて追悼記事に変更することになる。

 役員は総動員で対応に追われることになる。私はニュースの対応に追われる1週間である。