Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

広島 平和への誓い

2020年08月06日 14時04分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

《被爆50周年(平成7年)の平和記念式典では、広島市長の平和宣言に続いて、初めてこども代表が「平和への誓い」を述べました。これは、「こども平和のつどい」で世界のこどもたちが話し合った結果を平和への決意として述べたもので、翌年以降もこの成果を引き継ぐ「こどもピースサミット」を開催し、「平和への誓い」を発信しています。》

 平和への誓い

「75年は草木も生えぬ。」と言われた広島の町。
75年が経った今、広島の町は、人々の活気に満ちあふれ、緑豊かな町になりました。

この町で、家族で笑い合い、友達と学校に行き、公園で遊ぶ。
気持ちよく明日を迎え、様々な人と会う。
当たり前の日常が広島の町には広がっています。

しかし、今年の春は違いました。
当たり前だと思っていた日常は、ウイルスの脅威によって奪われたのです。
当たり前の日常は、決して当たり前ではないことに気付かされました。
そして今、私たちはそれがどれほど幸せかを感じています。

75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。
人間が人間の姿を失い、無惨に焼け死んでいく。
町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。
血に染まった無惨な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。

「あのようなことは二度と起きてはならない。」 

広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
私たちの未来に、核兵器は必要ありません。

私たちは、互いに認め合う優しい心をもち続けます。
私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々があきらめずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。

   令和2年(2020年)8月6日
                      こども代表 広島市立安北小学校  6年 長倉菜摘
                            
広島市立矢野南小学校 6年 大森駿佑  



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。