Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

二百十日

2022年09月01日 18時06分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 9時に雨が上がってから、大雨・洪水注意報が配信された。それだけ予定外の強い雨だったという風に考えることにした。
 9時半以降は雷鳴は聞こえなくなった。雷の被害はなかった。
 強い雨の区域が神奈川県西部にあったが、雨は降らなかった。その代わりに予報通り、太陽が顔を出し、蒸し暑い午後となった。アブラゼミとツクツクホウシが盛んに鳴きだし、ミンミンゼミはほとんど聞こえなくなった。

 雷鳴が聞こえなくなってから、知人に頼まれた仕事をボチボチと再開した。目が霞み、目薬をしたり、布団に横になって目を休めたりしながらの作業は遅々として進まない。しかし単純作業でもあるので、頭はあまり使っていない。

 ものを考えながらする作業のほうが長続きするし、進捗の速度も速いものである。単純作業は根気が続かない。視力が弱くなってからは、ますますその傾向が強くなったと思う。
 年寄りは、単純作業よりも思考を鍛える作業のほうが、長続きするのではないか。年寄りだといって馬鹿にして接してはいけない。何がしかの思考能力は歳と共に向上し続けるのだ、という自負が大切だと思う。自負、自尊心、思考力を否定する接し方は、いつかは自分に跳ね返ってくる。

★裸婦像の背のよごれや厄日過ぎ       高木杏子
★彎曲し二百十日の爺婆よ          齋藤愼爾
★蔵王嶺は厄日の雲を寄せつけず       鷹羽狩行 

 厄日とは俳句で二百十日のこと。農作業にとっては台風襲来の時期で、稲の開花期に重なる。今年は台風11号が当たるのだろうか。



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