ようやく「図書6月号」を読み終えた。目を通したのは以下の諸編。
・[表紙]モンドリアン 杉本博司
「宗教の桎梏から解放されてみると、絵描きは何を描いてよいのか戸惑った。ドイツ浪漫派のきゅすばー・デーヴィット・フリードリッヒは自然描写のうちに神の存在を象徴しようとした。‥絵は心の内部を描くように方針転換を迫られたのだ。」
「アートは人の意識に始まり、その原初から意識と共にあった。そしてそれは宗教意識でもあった。神なき世となる近代の入り口でも、アーティストは神の存在を巡って逡巡するのだ。」
・アイヌの貨幣 桜井英治
「歴史上、なぜといいたくなるようなものが貨幣になることは珍しくない。その起源や心性を探ることも歴史学の重要な仕事だ。」
・目が悪い 原田宗典
・亀裂のある都市景観 大石和欣
「(東京・渋谷)統一性のない雑居性が顕著で、それぞれの間に断層を感じてしまう。‥個性的なファッションの若者たちや海外からの観光客、仕事の移動中らしき人びとなど、共通点のない集団や個人が、勝手気ままな方向に横断し、すれ違っていく。そこにも裂け目が隠されている。ジェンダーや資産、教育や人種、文化的背景などに関わる見えない境界線も、個人間やコミュニティ内に浮遊している。‥法や権力によって社会意識上に刻まれた性に関わる境界線もあれば、ヘイトスピーチとして露出する根拠なき偏見や異文化に対する無意識的恐怖もある。」
「異質の文化や慣習が摩擦を胚胎したまま、街角やスクエアなどの公共空間に投げ出されている社会があり、それらはいつでも啓蒙的な景観に亀裂を生じさせ、猥雑な混沌へと陥れる危険性を秘めている。‥破壊的な活力と没交渉ゆえの無理解と偏見の確執こそがこの時代の政治や文芸を支えていた社会のモデルに思えてくる。渋谷の光景に重なってきてしまう。」
・破局表現考 池田嘉郎
・西洋社会を学ぶ意味 前田健太郎
「その理論は、日本に当てはまるか」と考える代わりに、「その理論の前提とする西洋社会は、東アジアとはどう違うのか」「東アジアの中で、日本はいかなる特徴を持つのか」と考える態度が生まれる。西洋中心主義とも、自国中心主義とも異なる道が見えてくることを期待したい。」
・大学入試って何を試したいの?(下) 広瀬 巌
・魯迅の「困惑」-直訳と意訳 三宝政美
「(魯迅の「藤野先生」で)「藤野先生のノート添削を初めて目にしたとき、魯迅の心を襲った」くだりを増田渉は「不安と感激」と直訳した。」「(竹内好は魯迅選集ののち魯迅文集で)竹内は公認されてきた直訳「不安」をあえて改訳し、新たに「困惑」と意訳した‥」
「立間祥介は第三の意訳「心苦しさ」を訳語に当てた。」
「竹内が従来の「不安」を「困惑」と改訳した胸の内を烏滸がましくも私なりに辿ってみた。‥竹内の「困惑」から導き出された立間の「心苦しさ」はまた異なった作品解説につながる可能性を示唆している。」
この論考はとても精緻で、そして納得性の高いものである。大変勉強になった。特に藤野先生が魯迅の下宿替えに大きくかかわっていたこと、魯迅が医師の道に進むかどうかの迷いに踏み込んでの論考は、読みごたえがあった。
・笑いと臍の緒 谷川俊太郎
・モモはうたう 小沼純一
・チームで推進された日本の伝統美術振興策 新関公子