本日は21時からEテレでベートーベンのヴァイオリン協奏曲が放映される。午後のコーヒータイムでは吉田秀和の「ブラームス」に入っているベートーベンのヴァイオリン協奏曲に関する論考を呼んだ。吉田秀和の文章は不思議だ。文章全体の後半に目的の局の論考が入るが、前半は他の曲の論考で埋まってしまう。どちらかというと、前半のほうが重要な場合が多い。ベートーベンのヴァイオリン協奏曲論を読むために、ブラームスのヴァイオリン協奏曲についての文章を読む必要になった。
私は何しろ出だしのティンパニーの4つの音の緊張感が演奏のすべてを支配すると思っている。その緊張感を何度も味わいたくて、いくつもの演奏のCDをかつてそろえた。
そしてオーケストラ全体が4つの同じ音のリズムを繰り返しながら、ヴァイオリンソロを引っ張り出すようにしてソロが始まる。このソロは107小節目のA♯の四分音符がHの二分音符のスフォルツァンドで解決して一気に頂点を迎える。ここまでで十分に堪能できる曲である。
そして長大な第一楽章に比べて第二楽章は実に繊細なメロディーである。この第二楽章も私は忘れられない。
第二楽章までの緊張感が、第三楽章に流れ込んでいくのであるが、この荒々しさが演奏ではなかなか納得のいくものが私は見つけられていない。少し羽目を外すくらいの荒々しさが欲しいと思う。
引用が長くなるが吉田秀和の文章をここに書き留めておきたい。
「ベートーヴェンがそれまで前例のなかった、そうしてすごく冴えた、印象的な「開始」の仕方をいくつもやって見せた芸術家だった(例えば第五交響曲、第九交響曲の出だし)ことは、ことわるまでもあるないが、その中でもこの《ヴァイオリン協奏曲》の開始は水際立ったものである。‥まことにさりげない、さっぱりした始まり方のように見えるが、一度それに気がついたことのある人には、もう忘れることのできないもので、‥ポン、ポン、ポン、ポンと四つなる。それだけで息づまるような緊張が生ずる。こんな単純な一つの音の繰り返しだけで、これだけ強烈な緊張のつくられたためしは、ほかのどこにあるだろうか。‥」