Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜でもスーパーは混雑

2020年03月26日 18時18分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 私の用事が済んでから、近くの私鉄の駅で妻と待ち合わせ。いつものように3件のスーパーをまわり、買い物に付き合った。
 広い大きめの店、中規模ならびに小規模の店と順番に回る。店を出るたびに私の持つものは少しずつ重くなるのがいつものパターンである。

 最初のスーパーに入ったのが15時くらい。すでに店は混雑しており、レジの前にはそれぞれ10人以上が並んでいた。我が家はいつものとおり籠に4分の1程度の品物を購入したものの、他の客は籠からあふれ出るように購入していた。みな買いだめのようである。
 個人がいくら買いだめしてもそれは「買占め」とはならない。少しの不安で、家庭のやりくりの規模での買いだめでしかない。不安が少しでもあるとこの買いだめにあれこれいちゃもんをつけても意味はない。買いだめをする不安を解消するのは安心感と明るい見通ししかない。
 このスーパーでは、お米と袋入りのラーメンの棚が空になり、肉類がほとんど売れてしまっていた。

 次の中規模のスーパーはより駅に近いこともあり、ふだんから人は多い。野菜を籠に4分の1くらい買うためにレジに向ったら、各レジ15人くらいも並んでいた。このスーパーでは初めての経験であった。妻はすぐに購入をあきらめて、籠にいれたものを棚に戻した。ここら辺の執着心のないところがいかにも我が家らしいところかもしれない。

 3軒目の小さなスーパーもレジの前に10人ほど並んでいたが、レジ1台に割り振ると3人ほど。ここで一番たくさん購入。持参した袋で3つ分。この量が向こう5日分ほどのいつもの買い物の量。

 だが周囲がいろいろと買い急いでいるとついつられてしまいそうになる。パニックとはまではいかないが、買いだめの心理の一端を垣間見たような気がする。
 お年寄りの女性たちが「あなたも来たの?」などと会話をしながら、「なくなると心配だから」とお互いに競い合うように食材や菓子類を籠に放り込んでいく。こうなると買いだめをするつもりはなくとも買いだめをする知り合いにつられて購入してしまうのであろう。
 何事にも醒めている妻は、そのような心理とはいつも無縁。わが道を行っている。私の方が喧騒につられそうになってしまう。

 3件のスーパーをハシゴしてから、近くの広い公園でのんびりと3部咲きの桜を見、小さな喫茶店で一服してから帰宅。



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