前政権で強引に、そして国会での議論もほとんど行われずに始まった「GoToトラベル」だとか「GoToイート」だとかと言われる「経済回復事業」。今さらながらいいろな制度矛盾が指摘され、補助額の変更など制度が揺らいでおり、迷走をはじめている。
私は、今のところ利用する予定もなく、「そら見たことか」と思いながら、冷ややかに眺めている。前政権も、今の政権も、国会でいろいろな観点からの批判や制度の不備についての洗礼を受けようとしてこなかった。どんなものでも端から完璧なものなどあり得ない。しかも1億人を対象とした事業である。
自分の企画や意見について、どんな場合でもさまざまな観点からの指摘や意見を受けてより良いものになっていくことを多くの人間が知っている。私のこれまでの経験側から言えば、自分の意見に自信が無かったり、人の意見を聞くゆとりの無い人ほど、自分の意見に固執してしまう。
そのような人が会社などの組織の上に立つとボトムアップなどとてもできない。常にトップダウンで物事を決めようとするものである。
どんな優秀な官僚でも、政府の構成員であっても、始めから完璧なものなど出来ない。何故に国会できちんと議論を尽くそうとしてなかったのか、事業そのものについての反対者の意見でも取り入れるものがあれば軌道修正して、少しでも完璧なものに近づける努力をするのが民主的な手続きである。
独裁というのは、批判者の意見を真摯に考慮するゆとりのない政治家が、自分の判断だけで政策を実行しようとする場合に生ずる形態であると私は思う。そして人の意見を聞こうとしない人間というのは、底の浅い人間、自分の意見だけが正しいと思い込んでいる。常日頃から人の意見を聞くゆとりも度量もないものである。
知識の量が多いとか少ないとかいうのではない。いろいろな観点・視点からものごとを見る能力の有無が人の価値を決めるのである。そのような人が政治家として政治のかじ取りをしてもらいたいと思う。
現在の日本の政治の悲劇は、そのようにして鍛えられてきた人間が、集団の差配をしていないことだと思う。
日本の企業のブラック度が批判されているが、多くの人が身近な組織である企業などの職場で、今の政治の縮図が横行してるために、それが当たり前になってしまっている。政治の在り様はそのことの反映ではないのか。
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