Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

人の話を聞くということ

2019年06月26日 11時52分34秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 人の話を聞くということは、難しい。特に政治的な意見など対立が含まれるときは難しい。同時に同じ仲間内でも、つい話を否定したり同意をしながら相手の話をさえぎって自分の意見をとうとうと伸べてしまう。
 そして同意するにしろ反対の意見を述べるにしろ、相手の話がどこへ展開するのか見通せないままことば尻で反応してしまう。私もそのようなことがないとはいえない。
 大切なことは、相手がどのようなニュアンスで話し始めたのか、ということをまずは聞き取ろうとする姿勢である。相手は、出だしの話を次の瞬間にそれを否定するために「まくら」としてその話をしている場合もある。しかし人はつい出だしの話に反応して、否定したりしてしまう。それは相手にとっては自分の意見を誤解されて否定されたように思ってしまう。反発しか残らない。それは相手と自分の今後の関係を壊してしまう。
 また同じことを言っているように見えても、話し方のニュアンスに注目すると、同じことでもさまざまなニュアンスと豊かなことばの世界が広がっている場合もある。話されることばは数式のようなものではない。会話は常に的確なことばだけではない。「話ことば」は、さまざまなニュアンスをともない、話す人の表情や身振りや手ぶり、「間」というものをともないながらすすんでいく。
 歳には関係なく、自分の思いだけで相手のことばを判断してしまい、否定なり賛意なりを口に出し、相手の話をさえぎってしまう。若い時に身についてしまったこういう癖は歳をとっても直らない。かえってひどくなる。中には何しろいったんは相手の話を否定しないと会話ができない人すらいる。

 私は仕事柄、直接に市民のいうことを聞くことから教わった。何しろきちんと聞かなければ何事も始まらなかった。さらに労働組合の役員もしていた。組合員の話は、キチンと聞くことも必要であった。二重の意味で他人の意見を「最後まで聞くこと」を叩き込まれた。
 特に労働組合の再建時、私の再建した組合に登録してくれた組合員の意見は貴重である。自分の意見と少し違うだけで否定的に受け答えしてしまったら、その組合員は離れて行く。だが、出だしは同意できなくとも、そのニュアンスやその人の奥底にある体験をじっくりと聞き取ると、自分のこだわりがちっぽけなものに思えることがある。あるいは些細な違いでしかないということを思い知ることが多い。そういう時は自分が少し成長できたように感じた。さまざまな意見を引き受けられる、ということは自分を豊かにする。人から学ぶということはこういうことかと知った。
 特に党派的な理念ばかりを押し付けてくる人に対してもっとも有効な批判は、自分の体験をとおして身についた自分の思いとことばである。この思いや体験をもとにつくりあげられた意見、いったん同意した思いは強い。そのような意見に対して、党派的な理念だけのことばは力は無くなる。そのような思く強い意見を覆すには、やはり体験をとおして獲得した、生きたことぱでなければ対抗できない。
 労働組合の再建という稀有な体験から学んだ私にとっての貴重な教訓である。

 話が得意な人もいる。自分の思いはいっぱいあるのに、思いを話しことばにするのが不得手な人もいる。喋りがゆっくりな人もいる。ことばをいつもじっくりと選んで話す人もいる。このような人に対したとき、その人のことばを豊かに聞き取ることが、聞く人の人間性や人間の豊かさが問われていることでもある。
 そうであっても相手の話ばかりを聞いていると、「日が暮れてしまう」こともある。少なくとも出だしをじっくりと聞き、続きをどこまで聞くか。ここもまた難しい。

 私は、「起」「承」「転」「結」を聞きわけることが大切だと思っている。「起」と「承」はまずしっかりと聞く。これをキチンとしなくてはいけない。
  話が長く、話すことが目的化してしまっている人はだいたいが「転」がない。あげくの果てに「結」などはじめから言う気がない人も多い。「承」が二つ続いたら、申しわけないが話をさえぎる。少なくとも「それで」と発して「転」や「結」を促す。
 この「承」がふたつ続いている間に相手のニュアンスや表情や手ぶり・身振りを観察する。その上で、まずは共感できる点を相手に伝えてから、自分の意見を述べる。これを私は会話の前提だと思っている。

 話し上手は「聞き上手」といわれる。「聞き上手」とは最後まで相手の話をただ聞くだけではない。「聞き上手」は会話の達人のための第一歩である。



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