Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

秋麗、爽やか、秋澄む

2019年10月23日 19時52分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 朝から集中して新聞の編集作業。割り付けの大きな変更2か所と囲み記事ひとつの削除は何とか出来上がった。細かなそれこそ数ミリ単位の割り付けの修正もすませた。
 囲み記事が消えた分、予定外の記事をひとつ作り上げることと、残り私の担当の記事を1本、ならびにいくつかの文言の訂正を済ませるとだいたい95%以上は出来上がる。本日中にここまでは仕上げたい。予定よりは早めに目処がついた。

 昼間は、親の散歩の付き添いをしてみた。ゆっくりと歩いて休憩5分も含めて往復で50分ほど。普段の半分ほどのスピード。
 住宅地の一角で、展望の良いところがあり、北の方角を遠望。天気も良く、かなり遠くまでみることができた。

★秋麗やわが影塀につきあたる      木下子龍
★さはやかにおのが濁りをぬけし鯉    皆吉爽雨
★秋澄める暁雲といふものの紅      飯田蛇笏 

 「秋麗」は太陽が眩しいくらいの晴れた秋の日、本日のような日を表すのであろう。「爽やか」は、清々しいという秋という意味で日中にかぎらず使われる。日常生活では四季を問わず使われるが、俳句では秋の季語として扱う。「秋澄む」は空気が乾燥し、台風や低気圧の頻繁な移動で空気が清浄になり、澄み渡る。遠くの山並みが地殻に見え足りもする。

 これらの違いを前提に句を鑑賞することになる。あまり季語の微妙な違いにこだわると俳句そのものが私たちの日常から遊離してしまう。気をつけたいものである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。