昨晩ベッドに入って寝付くまでの間に、追悼誌の修正箇所をふと思いついた。昨日までに作成した部分は幾度も見直して修正はしたつもりであったが、どこからか湧いてくるように頭の中で浮かんできた。不思議なものである。
自分や、自分の作ったものを客観的に見るのは難しい、と以前に記載したことがある。そのときに「契機」「きっかけ」となるものは人によっても違う、という文章も入れた。
この「きっかけ」となるものは、個々人にとっても決まった「きっかけ」はない。個人にとって類型的な、割合の多い「きっかけ」はあるが、そうでない場合もある。布団に入って寝るまでの間にふと浮かんでくる場合もあることに気がついた。今回が初めてではないような気もしている。
思いついてみれば、なんだそんなことも気がつかなかったのか、思いつかなかったのか、ということである。しかし意外とこれでモヤモヤが晴れることもある。
さらに今回驚いたのは、そのことをちゃんと朝まで覚えていたことである。気持ちよく寝ると、起きたときには忘れていることが圧倒的に多い。ほぼ100%忘れている。私の場合は夢も同じである。
今度は起きているうちに忘れてしまわないように、早速午前中に修正を施すことにした。寝る前に思いついたこと、夢でみたこと、これらは忘れてもたぶん深刻な問題ではないが、起きているときに覚えていることを忘れては、それなりに深刻である。
最新の画像[もっと見る]
- 新年を迎えて 1年前
- 謹賀新年 2年前
- 「渡辺崋山」(日曜美術館) 5年前
- 謹賀新年 5年前
- 謹賀新年 6年前
- 「ものの本質をとらえる」ということ 7年前
- 台風18号の進路が気になる 7年前
- 紅の花 8年前
- 「ゲルニカ」(宮下誠)読了 8年前
- 国立近代美術館「コレクション展」 9年前