Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「青い絵具の匂い」(中野淳)

2020年04月20日 18時46分50秒 | 読書

   


 「青い絵具の匂い 松本竣介と私」(中野淳 中央文庫)を読み終わった。

 戦後の松本竣介の足跡を、ごく身近で師事した画家の中野淳が1994(H6)から1996(H8)に雑誌に掲載されたものの文庫版。
 戦後の松本竣介の事績といってもわずか3年に満たずに亡くなっているが、私は余り詳しくはなかったので、いい勉強になったと思う。同時に松本竣介の属した新人画会、自由美術家協会の歴史が記されている。

 いつものように覚書としていくつか引用。

「私が松本竣介の絵を強く意識したのは、昭和18年(1943)の新人画会展に出品した「運河風景」とであったときである。‥ほの暗い空間のなかに、澄明なブルーの空がひろがっている。強固なマチエールの白い橋の後方に見えるのは、煙突のある工場。シルエットのように描かれているが、どっしりとした存在感がある。左端には黒い鉄橋らしいものがあり、繊細な線が感覚的に自由に走っている。細く強い黒の線は、透明な画面のなかで、さまざまな性格をみせる。物象の実在を把握するリアルな線、感覚的な線、説明的な線など、画面の隅々に細部まで目で追ってゆくと興味は深まるばかり。運河の水は暗く蒼い。まさしく詩と造形の合体。精神の職人による絵だ、と感じた。点景として描かれた黒い人影が、憂愁に満ちた風景の中で、生活的な懐かしさを覚えさせる。」(「運河風景」は現在は「Y市の橋」と称せられている。)
「「藤田(嗣治)の絵には音楽が無い」と松本さんが呟いたことがあった。聴覚を失っている松本さんの言葉として不審に思ったが、少年期まで音楽を愛したであう心底に音が存在しても不思議ではない。(松本竣介の絵は)音のない静寂な世界だけど心に音楽のある絵なんだと納得した。」

(中野)「戦争画を話題にすることは少ないのですが‥本気で描いている人の絵は、絵として魅力も迫力もありますが、時局に合わせているだけの絵は苦々しいだけです。
(松本)「戦争というのは絵描きにとって大きなテーマだからね。画家が本気で取組まなければ構成に残る絵は出来ない。戦意高揚の目的だけではポスターになってしまう。絵画本来の美を持たなければだめだ」
(松本)「これが私の戦争画の試作だ。藤田(嗣治)のような腕前が無いから、思うように描けなかった。‥この絵一作でけでもう描くのは止めた」
「「航空兵軍」というこの絵は、‥軍部の美術行政への抗議と戦争画制作。一見矛盾に見える二つの事象のはざまでの松本さんの苦しい心境を察して、私は言葉を窮してしまった。‥「航空兵軍」は死を意識した航空兵達の肖像である。戦闘の殺戮場面を描いた戦争画とはちがい、ここの人間の苦悩の内面描写を意図したように私に思えた。表現は松本流だが、如何にも描きにくそうで、アルチザンとしての松本さんの力が発揮されていない感じである。が、どこか本気で真実がひそんでいるように思スタ。ヒューマニズムという本質の地点で、二つの事象は重なり合っている気がする。」

「松本竣介の風景画は、何処と何処をモンタージュしたからできるという絵ではない。むしろ、現場の実景の感銘が発想の動機となり、造形化するために如何に他の構成要素を加えるかの知的選択だと思う。更に絵画としての美しさを成立させるために、形、色彩、明暗、線が実景から離れるほど自由に駆使されている。それは内面の詩的世界を醸成するための精神労働とも言えようか。」

「(松本竣介は)「現実がそのままで美しかったなら、絵も文字も生まれはしなかった。そして現実の生活の一部分にでも共感するものがなかったなら、文章も絵も作られはしない」。‥「彫刻と女」「建物」は最後の美しい絵だと思う」

 最後に筆者は1986年の東京国立近代美術館「松本竣介展」の図録「社債者あいさつ」を引用している。この文章の作者は不明だが‥。

「“田園を愛するように都会をあいしてゐる”と語っていた彼は、近代工業社会そのものの象徴であるような“都会”の雑踏と猥雑さのなかに題材を求め、こから建物や人物などさまざまなイメージが交錯し、ひびきあう一連の澄明で抒情的な都会風景を産み出しました。しかし、彼は単なる抒情的画家であったわけではありません。彼が身を置いていたのは、日中戦争から太平洋戦争、して敗戦にいたる未曽有の激動の時代でした。国家主義的な文化統制者に対する昭和16年の『生きてゐる画家』の発言、あるいはこの年以降の意欲的な人間像や孤絶感と憂愁をひそませた鉄橋、コンクリートの橋、ニコライ堂などの都会風景には、この時代の厳しい風圧のなかにあって、普遍的な人間性と芸術的真実を見失うまいとした彼の姿勢が読み取れるはずです。‥」

 なお、筆者は「故事に「往時渺茫すべて夢にあり」と記されているが、過去は遠く霧の奥にひそみ、見え隠れして、呼び戻すのは容易でない」と記している。多くの人がこのように書いている。しかし私は現在は正反対の感慨を持っている。
 私は「過去は鮮明にごく近くに迫ってくる。未来は茫洋として霧の奥に身を隠そうとする」といつも思っている。果たして、これが覆る時はいうのはあるのだろうか。この本の筆者のように過去のことを語り尽くした時に、覆るのだろうか。私にはわからない。

 今迄は「ニコライ堂」を除いて、戦前・戦中の作品を主に気に入って見てきた私であるが、戦後の作品もじっくりと見てみたいと思った。特に「ランプ」「彫刻と女」「建物」などを、もう一度見たいと思う。
 今晩は、2012年の夏に宮城県美術館で見た「生誕100年松本竣介展」の図録を見て過ごすことにした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。