「近代絵画史(上)」の本日第8章「印象主義の超克」以降を読み終わった。高階秀爾は、ルノワールとセザンヌをおおいに評価している。私は、ルノワールという画家が苦手で、いつも敬遠してしまう。人物表現に興味の強かったと思われるルノワールであるが、私には類型化された女性像が固定化された構成で多数眼前に並んでいる印象を拭えないでいる。それは今も変わらない。
まず、高階秀爾は「印象派の作品は、絵画のひとつの在り方を、その極限まにまですすめていった‥。何よりもまず光を、という印象派の追及は、やがて画面から感覚的なもの以外のいっさいを排除することになった。ルネサンス以来確立されていた合理主義的な、統一的視覚世界は、完全に破壊されてしまった。印象派とともに新しい時代が始まる‥」と印象派の始まりを把握している。そのうえで、
「しかしそのような純粋に印象派的な映像世界を最後まで持ち続けた作家たちは、印象派の仲間の間でさえ、きわめて少ない。モネほど徹底して「ひとつの眼」になりきることのできなかった画家たちが、印象派の感覚的世界にあきたらず、あらためて合理主義的な、知的な秩序と構成を求めるようになったのも、当然の成り行きであった。普通、「ポスト印象派」という名匠で一括して呼ばれている画家たち、多かれ少なかれ、感覚的世界を超えた別の秩序の探求者たちであった。‥その代表的な実例を、セザンヌとルノワールというふたりの優れた天才の作品に見ることができる。」と記している。
「ルノワールもセザンヌも印象派のもたらした色彩革命の成果は十分に受け継ぎながら、そのあまりに感覚主義的態度に不満を覚えて、画面に構成的秩序をもとめたことであり、その際、‥ルノワールにおいてはアングル、セザンヌにおいてはプッサン-いづりも古典派の巨匠たち-であった‥。」
「1890年代以降のルノワールは‥微妙な色調の変化で画面全体をひとつに統一する豊かな世界を築き上げるようになった。そこでは、裸婦の温かい肉体はもちろんのこと、植物も、風景も、ひとつになって、官能的な生命の参加を歌い上げているのである。」
セザンヌについての高階秀爾の把握は、分かりやすく説得的であると思う。
「セザンヌは、色彩の眩惑のなかに失われてしまった世界を、ルノワールのように全身の感覚で受けとめてひとつの豊潤な世界にまとめあげるかわりに、世界を見つめる事故の認識の根源までさかのぼって、認識行為そのものをカンヴァスの上に定着しようとした。見るということは、モネのように「素晴らしいひとつの眼」に化することではなく、「眼」を通して受け入れた感覚世界の混沌に知的な秩序を与えることであった。そもそも「見る」ということが、単に光の刺激を吸収することではなくて、同時に「認識する」ことであるなら、われわれの知覚作用のなかに知的な秩序づけの働きが含まれていなければならない。りんごはあくまでも一個のりんごであって、決してただの赤い反転ではないし、‥色彩世界の豊かさはそのまま保ち続けながら、しかもりんごや山の実在をも同時に捉えようとした。‥知覚と知性とがひとつになっている認識の根源を、いわばすまのまま手づかみで捉えようしたセザンヌの野望‥。」
「人物像においても、‥造詣的な探求をすすめていった。ルノワールに見られるようなモデルの官能的な生命感が問題になるのではなく、あくまでも空間の中におけるヴォリュームとマスの存在としての人体が問題であった。‥「見る」ことをその根源において捉え直し、新しい造形世界を実現したセザンヌは、二十世紀美術の父と呼ばれるにふさわしい歴史的位置をしめているのである。」
私の好きなカミーユ・ピサロについてはなかなか手厳しいが、それでも次のようにまとめている。
「印象派の風景画家のうち、シスレーがとくに空の広がりに惹かれ、モネが何よりも水の反映に関心を寄せたとすれば、ピサロが追求したのは、まず確固とした存在を主張する大地の広がりであり、その大地の上に建つ家、木立、森などであった。田園風景においても、都会の風景においても‥地平線が高いところにおかれ、仮面の大部分が大地や建物、人物などで覆われるという構図が用いられているが、このような構成法にも、何か手応えのある実体を画面に定着しようとするピサロの気質をうかがうことができよう。」
ここで「何か手応えのある実体」とは何か、私は気になる。またそれが私がピサロに惹かれる何か、なのだと思うので、これからも作品をじっくりと見たいと思っている。
ゴッホについては次のようにまとめている。
「風景も、静物も、肖像も、ゴッホの眼を通して眺められると、ゴッホ自身の内面の世界の投影に変換してしまう。かれがあんなにもしばしば自画像を描いたのも、鏡の中に映る自己の姿の奥に、何とかして心の世界を覗きたかったからにほかならない。そのような内面的な世界を他人に伝える手段として、その強烈な色彩があった。ゴッホにおいては、色は、そのまま魂の鼓動を伝えるものであった。このようなゴッホの色彩が、二十世紀の表現主義的傾向を予告するものとなったことは少しも不思議ではない。1901年、ゴッホの大がかりな回顧展が開かれた時、会場を訪れたヴラマンクは、そこから深い啓示を受けた。ゴッホはその色彩表現を通じて、二十世紀絵画の流れの重要な厳選のひとつとなったのである。」
私の惹かれるヴラマンクの名が出てきた。「近代絵画史(下)」にその言及があることを期待して、上巻の引用は終了。