Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

佐伯祐三展 感想1

2023年04月06日 14時19分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 佐伯祐三展のチラシを見て、驚いたことがあった。
 佐伯祐三の作品は、場末のパリの建物をいくつも描いた画家として、私の好きな画家であったが、詳しい履歴も、作品の変遷も知らなかった。チラシに《立てる自画像》(1924)という作品が小さく掲載されていた。私はこの作品は始めてみたが、同時に構図も立ち姿もよく似ている松本竣介の《立てる像》(1942)が思い浮かべた。
 どこか同じような体験をしたのか、作られた時に松本竣介はこの作品を見ていたのか、などの疑問が湧いてきた。

   

 図録を解説を見ると、佐伯祐三の《立てる自画像》には
パレットと絵筆を持って立つ自画像であるが、肝心の顔の部分は削り取られており表情は窺い知ることができない。佐伯は自画像を数点残しているがそのなかでも特異といえる作品である。パリ到着後、佐伯は‥ヴラマンクを訪れる。そこで佐伯は自身が描いた裸婦を見せたが、「生命感がない」「アカデミック!」と激しく否定される。この否定こそが佐伯の画業の転換点となった。‥挫折を味わった佐伯は、その後、独自の表現方法を模索し始めることになる。‥本作品は未完成であり、満足のいくでき出なかったのか、1年程後にカンヴァスは転用され‥裏面を利用して《夜のノートルダム(マント=ラ=ジョリ)》が描かれた。」(北廣麻貴(大阪中之島美術館)
と記されている。
 しかしこれが描かれたのがヴラマンクを訪れた前なのか、後なのか、そして顔が削られたのがその前なのか、後なのか。その検証は記されていない。恰もヴラマンクからの否定的な評価のショックを受けて顔を削ったかのような印象を鑑賞者に持たせるような曖昧な記述である。もしもそうであっても何故、顔の表情を削ったのだろうか。そのことも疑問である。
 ただし私の疑問「松本竣介はこの《立てる自画像》を見ているか」は「見ていない」ということになる。裏面に他の作品が描かれているのだから、この作品は公表されていないことになる。

 さて松本竣介の《立てる像》はどういう作品であろうか。2012年に開催された「生誕100年松本竣介展」の図録には、
1941年、竣介は『みずゑ』に掲載された座談会記事「国防国家と美術」に対し「生きている画家」を寄稿し、芸術さえも翼賛体制に組み込もうとする強圧的な力にヒューマニズムの立場から異を唱えた。‥美術を巡る状況も逼迫していく中で、あえて画家である自分やその家族といった主題を、これまでのモダニズム的な様式とは異なる古典的な様式でモニュメンタルに描き出した背景には、緊張感に満ちた切実な覚悟あったことは間違いない。‥表情には不安と希望が同居しているようにも見える。大きくとられた明るい空には雲が浮かび一見のどかだが、竣介が踏みしめる地上にひろがるのは、実景に基づいて描かれたくらいゴミ捨て場である。理想主義的にも見える《画家の像》と等身大の《立てる像》は対照的であるが、生きる自分の画面であり、どちらも時代に向かって経とうとする意志は明確である。」(加野恵子(宮城美術館))
と記されている。
 私の印象では、《立てる像》の顔は確かに正面ではなく少し右前を向いている。視線は左目は正面を見ているようだが、右目は右方向を向いている。視線は定まっていないが、「表情に不安と希望が同居」とまで結論してしまうことは保留したい気がする。サンダル履きの立ち姿はいかつい感じの下絵よりもかえって堂々としている。正面を見据えるよりはかえって時代に立ち向かう強い意志を感じる。同時期の都会風景を描いた浮遊するような人物像よりも輪郭が明確で、地に足がはえたような強さを感じる。背後の小さな人物や犬は何を象徴しているのだろうか。昔から考え続けている。
 この《立てる像》は傍に妻と幼い子を描いている《画家の像》と対の作品である。怯えたように妻の姿勢と視線、母親に寄りそう子ども、それを守ろうとするような画家の姿は裸足でサンダル履きだが、やむなく立ち上がる覚悟を感じる。

   

 松本竣介の同時期の作品では、家族が出てくる。しかし佐伯祐三の作品では、ヴラマンクと出会ったときの初回のバリ訪問では妻と子を同伴しているが、家族が出てこない。《立てる自画像》と同じ年の作品にセザンヌの影響の濃い《パレットをもつ自画像》がある。この作品が《立てる自画像》前か後か、図録の解説ではわからない。しかしこの意志の強そうな自画像は、ヴラマンクに鼻っ柱を圧し折られた痛みが感じられないので、たぶん《立てる像》の前なのであろう。
 あまりにセザンヌ的なので、この作品をヴラマンクに見せるのは避けたと思われる。そう考えると、ヴラマンクに会う時には既に自分の画風を転換しようという強い意志が働いていたと思われる。《立てる像》の背後の街の風景はセザンヌの影響は感じられない。
 同時にヴラマンクに見せたという作品はどのような作品だったのか、興味は尽きない。

 佐伯祐三展で見た《立てる自画像》と松本俊介の《立てる像》の第一印象は以上であった。後は1924年と1942年という18年の時代の差を探りたいと思いながら、それはまだまだわからないままである。

 



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