本日印刷会社にデータを持ち込んで、ホッとした。夕食後は緊張感が無くなったのか、脱力感があり、頭も体も眼も耳も引きこもり気味。
本日、歩行中に信号待ちをしているとき、脇に若い女性が立った。なんとなく片方の手の指先に目が吸いよせられた。手先がマネキン人形のような色をして、のっぺりしていた。初めは義手なのかと思ったが、突然のその指先が動いて、グー・パーの動作を繰り返した。最近の義手はとても精巧だと聞いてはいたが、それにしても動きがあまりにスムーズに見えた。
びっくりしてその指の動きを凝視していたら、信号が青に変わり、女性が歩き出した。そのときになって初めてマネキンの肌の色に似た薄い革の手袋をしていることに気がついた。
私は、自分の認識がこの10数年でずいぶん衰えたことを痛感した。マネキンのような肌の色の指先を見て、革の手袋だということに気がつくまでに30秒以上もかかってしまった。
何かに注目して、自分が何を見ているのか、その対象がどういうものなのか、認識するのにこんなにもタイムラグがあるのかと、あらためて歳を感じた次第である。
昔から、歳をとると「呑み込みが遅くなる=理解が遅くなる」と言われる。まさかそれを自分が認識するとは思いもよらなかった。
歳をとるということは、毎日が自分が歳を取ったということの発見の連続なのだろう。それを毎日新しい発見をする、と前向きに捉えられるとおもしろいが‥。
そこまで老いていないことを実感している限り、まだ捨てたものではない、と思えば少しは前向きになれます。
自覚がなくなれば、さびしいですね。