午後からは風も弱くなり、雨も時々パラつく程度だったので、いつもの喫茶店まで出かけてみた。休養日にしたかったので頭も空っぽにしたくて、喫茶店の外を歩く勤め人などを眺めながら、ボーッと時間を過ごした。
頭を空っぽにしたいと思ったものの、やはり手持無沙汰。「老いの深み」(黒井千次)を4編ほど読んでみた。しかし頭の中に「文章の意味」が形を為して入ってこないので、断念。単語が脈絡を持たずに踊っているようで、収集がつかなかった。情けないものであった。
頭が休養を強く主張しているのであろうと解釈して、ふたたび街を歩く人を眺めるだけにした。
同行者は無言なのにひたすら甲高い声でしゃべり続ける人、早足で目的地に向かって無言で歩む数人、ボソボソとしゃべっている男女。室内にいても微かに聞こえるときもあるし、口の形や表情から音が聞こえてくると感じるときもある。
店の中でも甲高い声で機関銃のようにしゃべり続ける人がいる。私は多分そのような人とチームを組まないことを願うか、取引をしたくないと感じる。あまりの多弁は、人に媚びることが仕事と思っている人か、どこかまずいことや欠点を見抜かれないためのカモフラージュと直感する。現役時代の教訓でもある。
安いが、飲みなれているコーヒーでのんびりした時間を過ごして雨が降り出す前に帰宅できた。