「聖母の美術全史」の第2章「中世の聖母 涙と乳」及び第3章「ルネサンスの聖母 「美術の時代」の始まりと危機」を読み終えた。
「マリアよりも情報が少なく、曖昧な位置にあった(マリアの母)アンナは古来さまざまな伝承と結びつけられ、その前身であった地母神の記憶を宿す存在として信仰対象の中に残ったのである。」(3.聖家族)
「イタリアでは14世紀初頭のジョット以降、合理的な空間の中に群像が配置され、人間は彫刻のようにな立体感を持ち、生き生きとした表情やしぐさを見せるようになった。ネーデルランドでは15世紀初頭に油彩技法が発明され、精妙な光の表現や細部表現が追及された。聖母マリアも生身の人間と同じように表現され、親しみやすい存在になっていった。‥絵画は神の想像物である自然をとらえ、その美を表現するものだという考えが生まれた。‥芸術家は自然に基づきながら自分なりの工夫やアイデアを表現するのであり、その出来によって作品が評価された。称賛される作品を生みだすのは、中世の無名の職人から、名前をもった芸術家に変化したのである。‥イコンでは、作者ではなく出来や伝承ばかりが重視されたが、この頃から誰が描いたかということが価値基準の一つとなった。」(4,美術としての聖母子)
「ルネサンス期、聖母の絵は、聖母への崇敬や敬慕という動機からだけではなく、美術作品として鑑賞され、評価されるようになる。‥この時点で「美術」というものが成立したといえよう。‥こうした芸術としての評価の頂点に立ったのがラファエロ・サンツィオである。」(4,美術としての聖母子)
「ラファエロの祭壇画は、信仰イメージからイメージ信仰への変化、つまり信仰を表現していたものが、やがて作品自体が信仰の対象となった‥。今日でも人々が思い浮かべる一般的な聖母のイメージのほとんどは、その源にラファエロの聖母があるといってよいだろう。聖母そのものも、芸術作品のテーマであるとともに、信仰の対象であり続けた。ルネサンス期、美術の時代になってますます聖母は、美術信仰の双方が不可分に結びついた存在となったのである。」(4,美術としての聖母子)