本日もはっきりしない天気、ときどき弱いものの雨が降った。その合間を塗って親の通院の付き添い。午前中に神奈川大学のキャンパスにある生協までいこうとしたが、雨でもあり、そのあとにいったん家に戻り通院の付き添いをすると5000歩を超えそうなので生協行きは断念。
もっとも急ぐ用事ではなかった。明日の雨の合間に行けるようならば行きたい。午後遅くから組合の会館で会議。生協の近くからの横浜駅行きのバスに乗ればそれほど歩かずに済む。
しかし歩くという人間の基本的な動作から疎外されるということは、読む・聞く・考えるという基本的なことにこんなにも直結するのかと愕然としている。たとえ杖だけに頼る程度の故障でも行動範囲も狭くなるし、時間もかかる。すべての物差しを変えなくてはならなくなる。
さらに不思議なことに思考回路にも、読書の気力にもつながる。持続力というか、粘着力というか、考えていることに対する執着力というようなものが減退するようだ。
これが松葉づえになったり、車いすになったりという事態を具体的に想定することなど到底事前に出来ることではない、と実感している。
こういうハンディを乗り越えて活躍されている方の努力というのはなかなか理解できなかった。自分のこととして想定というのは難しいものである。
自分なりの行動パターン、思考方法等々の再構築を作り上げるしかない。