久しぶりに岩波書店の「世界」の11月号を購入。先ほど「人が人らしく生きていける社会を-内橋克人さんが伝えてきた言葉」(国谷裕子)を読み終わった。内橋克人への追悼である。
論考の最初に取り上げている内橋克人の発言は「いまこそ経済というものを人間の視点からもう一度捉え直すべきだと思います。生きる、働く、暮らす、それを統合するのが人間の営みであり、経済なんです。」(「99年状況を総括する」)
「23年間、(クローズアップ現代という)番組を担当して私が一番大きな変化として感じたのは、やはり雇用、労働をめぐる環境だった。正社員がパートや覇権・請負という働き方に置き換わり、固定費と考えられていた人件費が調整可能な変動費へと変化していった。給与水準の抑制、リストラ、従業員の教育や福利厚生コストの削減など人件費総額がおとえられたこともあり、2000年を境に企業の税引き後当期純利益の顕著な伸びが始まり、株主への配当は増加していった。「格差社会」が2006年に新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた‥。」
「日本では、失業保険給付を受けられない失業者の割合が先進国の中で最悪となっており、国際社会からは、日本は労働の多様化、流動化を先行させ、働くものの基本的権利を置き去りにしていると指摘されていた。」
「規制緩和の旗振り役を積極的に果たしてきたのがジャーナリズムとの指摘に、私自身、規制緩和の最も大きな痛手を受けた人々の声をどこまで届けられたのか、その影響を中長期的な視点で多角的に見つめていたのかと忸怩たる思いを抱く。」
私も労働組合運動の末端にいたが、まったく同じ感想を持っている。
自治体の末端の労働組合に意識的にこだわり続けてきた私であるが、同時に組合運動の限界とともに社会運動としての「労働運動」そのものの弱体化、求心力の低下を招いた原因を指摘しても届けられなかったことに極めて残念な気がしている。
同時にこの大きな転換点であった世紀をまたいだ時代の「規制緩和」を後押しをしていた市民の圧力、迎合、そしてそれを救いあげた政治家への熱狂の恐ろしさもまた、身を持って体験したのを思い出している。