いつの間にか23時30分を回ってしまった。本日はかなり疲れた。先ほど記載したように外回りが片手でたりない数ある。またメールと電話もいくつかしなくてはいけない。
ということで、「本日の業務は終了」とせざるを得ない。きわめて眠い。
明日も8時過ぎに家を出るつもりである。恥ずかしながら、2日間も8時過ぎに家を出るのは、何年ぶりだろうか。少しは普通の暮らしに近づいているということなのだろうか。
Eテレの「2355」を見てから寝るつもりだが、それまで起きていられるか。
いつの間にか23時30分を回ってしまった。本日はかなり疲れた。先ほど記載したように外回りが片手でたりない数ある。またメールと電話もいくつかしなくてはいけない。
ということで、「本日の業務は終了」とせざるを得ない。きわめて眠い。
明日も8時過ぎに家を出るつもりである。恥ずかしながら、2日間も8時過ぎに家を出るのは、何年ぶりだろうか。少しは普通の暮らしに近づいているということなのだろうか。
Eテレの「2355」を見てから寝るつもりだが、それまで起きていられるか。
明日は、朝のうちに整形外科、午後に銀行をめぐり、いつもの内科と眼科をめぐることになった。
降圧剤や緑内障の点眼薬などが日曜日になくなるので、どうしても明日中に行かなくてはならない。今週の初めにでも行っておくべきであった。一日に三つの病院をめぐるのは、少々きつい。
そしてそろそろ退職者会ニュースの新年号の編集作業も始めなくてはならない。相続の手続きと自分の通院、亡くなった叔母の部屋の片付け、退職者会のニュース作成‥、年末の忙しいときに重なってしまった。頭が少し飽和状態である。
午前中は整形外科、午後から新宿で弁護士に相談。夕方には横浜に戻り別の弁護士に相談。弁護士とは遺産相続のスムーズな手続きについてアドバイスをもらった。無料相談の範囲内でのアドバイスだが、随分突っ込んだ内容で教えてもらった。引き続き30日にも相談に応じてくれることになった。
新宿と横浜の往復は、電車の中で読書タイムと思っていたが、明るい車内で景色が変わると目がつらく、結局は目をつぶっているうちに寝てしまった。地下鉄ならば明暗の変化が少なくて済むが、外を走る電車では年寄りには目によくないことをあらためて実感。
新宿では超高層ビル内の事務所に昼食時に到着。しばらくビルの地下の食堂街や地上のビルの周囲を散歩して時間を調整。
驚いたことに、最新のビル街なのに働いている人はランチ難民であった。レストランは並んでいて満杯。昼食にありつけるまで長時間立っていなくてはならない。地下の池状のコーナーの周りにはお弁当を食べる社員が狭い敷石の上で胡坐をかいておしゃべりに興じていた。その狭い敷石には鳩の糞がかなり落ちていて、それを避けるように苦労して座り込んでいる。
また地上の植込みの間に十人ずつくらいの人の塊があり、日向ぼっこをしているようなので傍に寄ってみると喫煙場所になっていた。鼻の利かない私にはわからなかったがたばこのにおい(多分)がひどいのだろう。また煙が立ち込めているだけでなく、植込みの中は吸い殻が散乱しており、びっくり。
負の要素は森の中に隠して見えなかったことにしたり、海に流してしまうという、昔の公害をまき散らした企業の論理を思い出す。倫理感を喪失した日本の企業の精神を垣間見たような気がする。「悪ガキ」という十代のやんちゃ坊主のほうがまだ後ろめたさを持っていて救われる。
働く人間を収容しきれないランチタイムと食事事情、喫煙対策がまったくできていない現代の先端を行く街の状況を見ると、いかに現代の粋を集めた超高層ビルの街といわれていてもその設計思想や企業倫理に重大な欠陥があるとしか思えなかった。
日本の建築は、そこに働く人のことはあまり考慮しなくとも許容されるようである。これはいつも足りない便所の数をみてもわかる。喫煙対策もランチ対策もこれでは日本の労働環境はよくならない。しかもその思想では世界に通用しなくなっていると思う。日本が「先進国」から坂を転げ落ちるように転落している、といわれるが、こんなところにもそれが現れている。働く人のことをまず考えない思想に将来はないはずである。人間の顔をしていない資本主義である。
むかし1967年、チェコで「人間の顔をした社会主義」を標榜した改革運動が注目を浴びた。しかし旧ソヴィエトの軍事介入で悲劇的な結末を迎えた。「人間の顔をしていない日本の資本主義」は誰の力でつぶされるのだろうか。この分では自壊だけが待っているのではないか。
本日は夜の飲み会までの時間に喫茶店と電車の中で「万葉の時代と風土」(中西進)の、第一部の「白村江以降――万葉集の形成と渡来者」ならびに第二部の「飛鳥路の宮跡を歩く」を読み終わった。
今は酔いが回ってきているので、引用や感想は明日に持ち越し。
本日の飲み会は、規制が解除されて久しぶりに集まった仲間たちである。楽しい会話が弾んだ。ひとり3000円で随分たくさんの焼酎と美味しいつまみを堪能出来た。
本日は、昼間に友人から、午後は別の友人と、そして夜の飲み会の席で合わせて4つの年末の日程を決めた。
12月、随分とスケジュール帳が埋まってきた。10月、11月以上に日程が押し合ってきた。スケジュール帳が埋まる間は人から必要とされているのだろう。少なくとも無視はされていない証である。うれしいやら、体に負担がかからないかという心配やらが湧いてくる。具合が悪いときはそのときで考えるしかない。
明日の午後は、叔母が亡くなったことに伴い、新宿まで出向いて弁護士との打合せ。午前中は整形外科に通う。いったん帰宅したほうがいいのか、そのまま新宿まで行くのがいいのか、時間の配分が難しい。
友人との打ち合わせを終え、これより本日のメインである少人数での飲み会。家からは歩いて帰ることのできる距離なのでありがたい。
小さな店に8人ほどで押しかける。お酒もツマミも美味しい。最初に見つけた友人に感謝である。
整形外科は休み明け、ということで混雑。しかしリハビリだけの私は意外と早く終了した。
神奈川大学の生協までバスで移動、4冊を注文。
角川選書、新潮選書、筑摩選書、ちくま学芸文庫を各1冊。3種の選書というのは意図したわけではないが、たまたま有隣堂の選書のコーナーで見つけたのが理由。
一気に4冊の支払いのことは考えずに注文してしまった。衝動買いではないと言い訳しても、かなりの嫌味は言われそう。
本日は「万葉の時代と風土」(中西進)と「日本美術の歴史」(辻惟雄)をそれぞれ少々。横浜駅までバスを利用。「敬老パス」を使うことにすっかり慣れた。
使い始めたころは、つい改札口をスイカを使って通ろうとして、入場記録を取り消してもらったり、改札を出るときにスイカを使おうとして警告音に自分で驚いたりしたものである。逆にJRや私鉄の列車を利用するときに、「敬老パス」を使用しようとしたこともある。
さて、左ひざに100円ショップで購入したサポーターをしている。きつくないので、私などはかぶれることもなく、安心して使っている。湿布がはがれないように抑えるにはうってつけの強さである。緩くとも膝を支えてくれている実感もある。さらに暖かい。冷えをさえぎってくれている。意外と有用で、110円以上の価値があると思う。
明日も整形外科で治療してから、いろいろと用事を済ませるために歩き回りたい。できるだけ歩数は少なめにして膝の負担を少なくしたい。
昨晩は日付が変わってから「国造(くにのみやつこ)-大和政権と地方豪族」(篠川賢、中公新書)」を読み終わった。
この書の論がいまどのような水準にあるのかは私にはわからないが、とりあえず私の興味の範囲内で新しい知識となったところは、読み終わってみると結局第1章の末尾であった。
「直木幸次郎によれば、継体(ヲホド)記の記述と神武天皇伝説との間には多くの類似点があり、継体(ヲホド)に関わる事実や伝承をもとに神武伝説が潤色・形成されたと考えられるという。大倭国造・葛城国造の任命は、継体のときの事実と考えてよいのではなかろうか。地方から大和に入って即位した継体であったがゆえに、畿内にたいしても、それをいくつかの範囲(クニ)に分け、それぞけれに国造を任命して統轄させる必要があった‥。いいかえれば、そのようにして即位した継体であったがゆえに、中央豪族の勢力が錯綜する機内地域においても、国造を設置することができた‥。一方、九州地方に国造制が施行されたのは、磐井の乱の鎮圧後と考えられること、磐井の乱の一因には、中央政権が国造制という制度をともなう形での支配を磐井の勢力範囲に及ぼそうとしていたこと。‥いまひとつの重要な契機として、朝鮮半島派遣軍のための軍丁(兵士)の確保ということがあったと考えられる。」(第一章「国造制はいつどのようにして成立したのか」の「3 国造制の成立過程と磐井の乱」)
寄り道読書はしばらく終了。本日は「日本美術の歴史」(辻惟雄)に戻る。
読みかけたついでに本日中に読み終わるつもりで、「国造(くにのみやつこ)-大和政権と地方豪族」(篠川賢、中公新書)を読書中。
本日中に読み終えることができるか、ギリギリといったところ。
本書の内容とはかけ離れてしまうが、最近の日本の古代史の啓蒙書を読むと、私たちが高校生の頃に読んでいた教科書の解説本や、高校生用の日本史の辞典類がどれほど違っていたのか、よくわかる。
というよりもきわめて断定的に記載してあった事柄が今は覆ったり、疑問符が投げかけられている。教科書というもののあり方もまた変わらなければいけないと思う。あまり断定的に決めつけてしまうのではなく、歴史の解明が現在進行形であるように記載するほうがずっと若い感性を刺激するように思う。権威でもって押し付けてわかったような気持ちにさせるのではなく、疑問を解明しようとする意欲と感性がどの教科にも求められてしかるべきだと思う。特に高校生の教科書となれば、そのほうがいい。
当時は(多分現在も)重箱の隅をつつくような設問が多数ある。わからないままに棒暗記させられていた苦い思い出なしには、このような啓蒙書を読み進められないのも不幸なことだと思う。
今現在はそのときのいやな思いを払拭するために時々この手の啓蒙書を読んでいる。私がこの手の書物に手を出す根拠である。
本日は朝から雨の予報であったが、明け方に雨が上がった。
雨が降らないうちに整形外科へ。赤外線の温熱治療と低周波の電気治療。そのあと診察をしてもらい、左足のレントゲンも撮影。腫れて炎症を起こしてはいないが、お皿と上下二つの骨との隙間が右膝のようにほとんど無くなっているといわれた。
医師からは加齢による症状と、ニタッと笑いながらいわれた。ムッとはしなかったし反論もしなかったが、この状態は多分小さいころから正座が出来なかったことと関係している、と私は自己診断している。正座がまともにできないことを理由に、中学高校の柔道の教師からはずいぶんひどい扱いを受けた。
そして30代から50代はじめまでの周囲からは激し過ぎるといわれたジョギングと登山、50代半ば以降の登山とウォーキング、60代半ば以降の過剰なウォーキングが症状を促進したといえる。ある意味では自業自得という側面も否定できない。
来週からヒアルロン酸の注射をしようという結論となった。毎週1回で5回で1クルー、とのことである。左だけなのか、左右同時か、別々に合わせて10週間かけるのかまでは聞かなかったが、焦ってもしょうがない。ただし、温熱・電気治療は左右ともに実施することにしてもらった。
午後は、廉価な理髪店で先月初めのように短く刈ってもらった。刈ってもらうとすっきりする。
その後、有隣堂にて立ち読み。久しぶりに古代史の新書を手に取った。「国造(くにのみやつこ)-大和政権と地方豪族」(篠川賢、中公新書)。45分ほどの立ち読みで全5章のうち第1章の60余頁を読み終わった。そのまま書棚に戻すのも申し訳なく思って購入。
バスにて帰宅。自宅最寄りのバス停を降りたら雨が降り出し、そのまま本降りになった。
20時過ぎから再びベランダの雨水排水管から雨水が流れ落ちる音が始まった。気象庁のレーダー画像を見ると5mmを超える雨が降っているようだ。これから20mmくらいの雨の区域が通過するような予想にもなっている。
明日もこの程度の雨が続く可能性がある。出かけたいのだが、また明日になってから判断するしかなさそうである。
本日は退職者会ニュースの新年号の原稿に掲載する資料を作成した。共済の宣伝だが、画像編集ソフトで見やすく改変。最近のパンフレットはほとんどカラーなので、モノクロにしたときにコントラストなどを強くしたりしないと見にくい。工夫が必要になってくる。字の大きさなども改善が必要である。面倒な世の中になったものである。
デザインの担当のセンスとはどうも相いれない場合が多い。センスが合わないというよりも発注者側のチェックが甘すぎると私には思われる。駅などに掲示されている公共広告物の質の低下も最近気になる。
まだ本格的な原稿づくりの作業に入っていないので、ゆとりのある作業が出来た。
本日の作業はこれにて終了。
16時の少し前くらいから雨が降り出した。いっときは5ミリ程度の雨であったが、今は1ミリ程度の弱い雨で、雨水管から雨水が流れる音はしていない。
明日も終日降るらしいが、どれほど強い雨の区域が通過するのだろうか。
出来れば明日も整形外科に赴きたいし、できれば理髪店に行きたい。10月4日に理髪店で1mmと6mmのバリカンで短く刈ってもらった。もう7週間も経っている。側頭部がだいぶ伸びてきているので、耳に毛が当たり煩わしい。10分で税込み1100円という理髪店でお願いしているが、実際は5分くらいで終わってしまう。安くしてほしいとはいわないが、せめて7~8分くらいかけて欲しいものである。友人には毛が薄い者のひがみだと笑われている。私自身も同感であるので、一緒に笑っている。
さて、本日は「日本美術の歴史」(辻惟雄)を少々読んだが、次の第6章には進まず、高村薫の短編集「地を這う虫」(文春文庫)から「愁訴の花」と「巡り逢う人びと」を読んだ。高村薫の作品は、「マークスの山」「晴子情歌」「新リア王」「4人組がいた」「作家的覚書」を読んだことがある。
短編は初めて。「晴子情歌」はとても好印象で、記憶に残っている。再読してみたい気がしているが実現できるとも思えないのが残念である。
疲れた時に読む本はいく冊かベッド脇に置いている。そのうちの一冊。他に置いてある本は「東京百年物語1~3」(岩波文庫)、「現代語訳老子」(保立道久、ちくま新書)、「老子」(岩波文庫)、「自省録」(マルクス・アウレリウス、岩波文庫)、「詞花和歌集」(岩波文庫)。どれも最近は手に取っていない。
「日本美術の歴史」(辻惟雄)の第5章の第三節「善を尽くし美を尽くし[院政美術]」を読み終わった。
ちょっと時間がかかりすぎた。
「院政時代の文化は古代の幕を引き中世の開始を告げる過渡期にふさわしい変化に富んだ様相を示している。第一に‥鴨長明の「方丈記」に要約されるような末世到来を嘆く隠遁思想の流行する時代であった。第二に大江匡房が「永長の大田楽」の仮装を見て「その装束、美を尽くし善を尽くし、彫(かざ)るがごとく磨くが五都市、金繍を以って衣となし、金銀をもって飾となす」と評したように、遊戯とかざりの時代であった。第三に、美の時代であり、“美形”を追求した時代であった。‥第四に、激動する過渡期の現実に揺れ動く不安の心は六道絵に代表されるような、美とうらはらの醜への関心=リアリズムを生んだ。」(①「末世の美意識」)
「美への傾倒の一方で、病や餓鬼、地獄のような醜とグロテスクの世界からも目をそむけることのなかった院政時代の文化と美術は、奥行きがあり、稀に見る多産で創造性に富んだものということができる。」(同)
「院政時代の美術は‥前期は藤原美術をより繊細化し耽美化したといえるような時期であり、「源氏物語絵巻」‥などがこの時期の産物である。後期になると、‥異なる荒削りな要素を持った「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」などが現れ、運慶もこの中に入れて良いかもしれない。」(同)
ここで私が注目したのが、「③彫刻・工芸・建築」の項の「日本的焼物の登場」。
「高水準だった院政時代の工芸のなかで、焼物だけは技術的にも意匠としても、須恵器のままで低迷していたと以前は見なされていた。だが、最近では、愛知県の猿投窯(さなげよう)に始まる国産窯の新しい動向が注目されるようになっている。‥中国磁気の輸入が減ると釉をごく一部しか施さず、あるいは省略して、自然釉に任すという従来の製法に戻っている。高級志向を棄てて瓶、壺を主とする日常の雑器としての量産に活路を見出した‥。‥縄文土器のあと続く、外国当時の造形にしたがった都主導の焼物づくりに代わって、地方の窯が陶磁史の表舞台に登場してきた‥。遅ればせとはいえ、焼物における和様の意匠の誕生をも意味した。」
陶磁器の歴史は私は無知なのだが、縄文・弥生以降戦国末までこの列島の陶磁器について語られること、教えられることはなかった。中国陶磁器の輸入との関係からの視点も含めて、新たな視点を教えられたと思った。
ようやく自宅にたどり着いた。新宿三丁目駅から副都心線-東横線を選択したが、案の定横浜駅を寝過ごしてみなとみらい駅で目が覚めた。折り返して横浜駅で下車、バスにて自宅まで。予定より30分は余分にかかってしまった。
しかし余裕を持って二次会の会場を後にしたので、助かった。折り返しの電車が無くなっていれば、元町中華街駅、ないし日本大通駅からタクシーで戻らなくてはならない羽目に陥っていた。
家にたどり着いてみると歩数計は1万歩を超えており、ウォーキングはやめるように言われたにもかかわらず、もうそれを破ってしまった。もっともウォーキングではなく、ゆっくりと歩いたので、それほど膝に負担はかかっていないはずである。
明日の日曜は気分も膝も休養日としたいものである。