明日の葬儀のために身に着けいてくものの点検で残っていたものは黒い革靴と白いワイシャツ。さいわいにも黒い革靴にもカビは生じてはいなかった。白いワイシャツは昔は大きめだったが、今はちょうどいい大きさになっていた。革靴を毎日履かなくなって10年以上。ときどき先輩などの葬儀やイベントの時に履く程度であった。ワイシャツも20年近くは着用していなかったようだ。9年半前の退職辞令のときに黒い革靴も白いワイシャツも久しぶりに着たという感想をもったものである。
斎場まで行くために、電車の時間を調べ、家を出る時間を決め、持ち物をリュックに放り込んで、本日の作業は終了。
あとは無事終了することをめざすのみである。
昨日、岩波書店の「図書11月号」の読みたいと思ったものは読み終えた。前回は[表紙]の司修の「夢見下のフロッタージュ」の最後の2行を引用した。
昨日読んだものは、次の6編。
・ミルテを植える 落合勝人
・残念だが、パーティーは次回にお預けだ 鷲田清一
「雑然、雑多。複数の時間が絡まり、積層しているのが、わたしたち一人ひとりの現実だ。‥コロナ禍のもとで(さまざまな行事等が)延期ないし中止になった。そういう仕切りのあったことも思い出しにくくなった。‥時間は表情も律動も失い、のっぺらぼうになる。‥時間が滞留し、向かう方向もまた定かではない‥。」
「《いま》という瞬間に閉じ込められるというのは、ひとにとってカタストロフィックな事態である。人間の意識というものは現在から不在への意識のたなびきのなかにこそ住まうからだ。‥《いま》という瞬間の連続ばかりがあって、時が流れないというのは、きわめて危うい状況である。」
「相互接触を、現場感覚を、開かれた相互交通を、多様性を--と私たちが訴えてきた価値をいったんしっこうさせるという、そういうことをずっと強いられてきた一年半である。」
・新出・智月宛芭蕉書簡 藤田真一
・父と兄の書棚が招いた変な読書 志茂田景樹
・十一月、実りの秋の動物たち 円満宇二郎
今号はこの6編のみで終了。
明日の葬儀に向けて、いろいろと手続きや支払いや、相談事が重なった。それなりに慌ただしく、忙しい日であった。
明日は朝から斎場行き。喪服が体に合うのか、まだ来ていない。服が小さくなったのではなく、体が大きくなって着れないのではないか、という不安が大きい。背広は多分着ていると窮屈で肩が凝りそう。ズボンは目いっぱいにアジャスターを広げると何とかなると思う。そして白いワイシャツが着られるのか不明である。
食事後、試着である。試着といってももう対策はないので、無理して着るしかない。