Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

整形外科難民

2021年11月18日 22時45分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は朝一番で市民病院で採血と診察、そして薬の処方をしてもらうことになっている。9時の診察なので、その前に採血をしなくてはいけない。8時前には家を出る予定。
 本日よりも早く起床する必要がある。寝坊の私にはつらい。

 市民病院の診察終了後、整形外科が地下鉄で家の傍の駅から二つ先の駅前にあると聞いた。初めてだが、その病院で受診してみることにした。明日は金曜なので多分休診日ではないと思われる。幾度も記載するが、私の住んでいる周囲の住民は整形外科難民だと思う。まともな治療をしてくれる整形外科が近くに欲しい。切実な悩みである。

 明日も杖がなくとも歩けるが、用心のため杖を突いて出かけてみることにした。
 


ハイキングと杖と昼酒

2021年11月18日 21時11分56秒 | 山行・旅行・散策

         

 本日のハイキングは前回歩いた場所、それも少しショートカットして無事に正午に終了。そのまま隣の駅の居酒屋で私どもの退職者会のメンバーで昼食会に以降した。
 「昼間はお酒を飲まない主義」、「これから病院」という参加者は定食のみ。しかしとても美味しい定食で、サバの塩焼きと天ぷら、なめこの味噌汁、小鉢が3つも付いた。
 お酒を飲んだ人は、その定食をつまみに生ビールと日本酒2合。とても充実した昼食であった。私は当然のようにビールと日本酒でご満悦。

 ハイキングは用心して杖を突いて歩いた。谷戸の中のそれなりに高低差のある道を歩きとおすことが出来た。解散地点に着いたときは1万歩を超えた。杖を突かなければ足を引きずっていたかもしれない。
 右足の膝付近を除けば、心地よい疲労感。帰宅後両足にたっぷりと湿布液を塗って、夜になるまで熟睡。足を温めたら随分と楽になった。

 ハイキングと昼酒、そして昼寝。気が付いたらとても贅沢な日であった。
 


「万葉の時代と風土」から「万葉集における古代朝鮮」

2021年11月18日 08時20分05秒 | 読書

   

 一昨日読み終わった「万葉集における古代朝鮮」の項からいくつか引用する。少し長いが引用しておきたい。

「万葉集の中に古代朝鮮の影はけっしてとぼしくない。「から」(韓・漢)とか「こま」(高麗)、くれ」(呉)を関したことばが地名や物名の中に多いことはもちろん、さらには風俗そのものが古代朝鮮との関係の中ででき上がっていたりして、万葉の時代(七、八世紀)には朝鮮を無視しては何事も理解できないほどである。‥日本人の舶来品志向は、どうも千年前から変わっていないらしい。朝鮮からの渡来者の風俗は価値あるものとして万葉人の目を引いている。」
「そもそも万葉集の歌を出発せしめたものが、古代朝鮮からの衝撃力であった。‥あの白村江の戦がなければ、万葉集もなかったかもしれない。‥幸いにして唐の来襲はなかった。その結果、百済の文化をひきつぐという形で、歴史が流れていった。その中に誕生したのが万葉集である。‥先立って、和歌は歌謡からの自立をしはじめていたが、その自然発生的な進展に対して、これを飛躍的に成長させたものが、天智朝のこのできごとであった。」
「大友皇子の漢詩を生んだ天智朝を代表する万葉歌人が、額田王という女流歌人だということはいうまでもないだろう。ところが、この額田王も渡来系の人だと思われる。」
「“紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(Ⅰ21)”この時蒲生野には紫草が栽培され、その中に(額田)王が立っていたことは事実である。‥紫草は紫色をえる材料としてうえられたもので、この技術は朝鮮からの渡来者によってもたらされた。それなりに貴重な色で、これが服色として最高の物とされ、後々禁色として最高の許され、後々禁色とされる理由もまた、ここにある。」
「万葉集というやまとことば圏では他と紛れるばかりだが、もう一方の漢字圏、「懐風藻」の世界では八世紀になっても渡来系の人々が主たる活躍者であることしは、そのことにおいて看過しがたい事柄である。」

 こういう指摘は断片的に幾度も聴いているが、まとめてくれたのはとてもありがたい。