Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

病気見舞い

2025年01月14日 21時21分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は知人の病気見舞い。この年になると先輩だけでなく、同輩、後輩でも入院するかたが多くなる。本人ではなく、ご家族のかたに挨拶をして、見舞いに行った仲間と飲んで帰るというパターンが多くなる。
 本日の病院はインフルエンザの流行拡大による面会不能、ということはなかったが、多くの病院や療養施設、高齢者施設では面会ができないところが多いと聞く。面会ができないうちに残念なことになることも想定される年になってしまった。

 一昨日、昨日とせっかく読書タイムも順調になったばかりなのに、本日は読書タイムは確保できなかった。残念。

 これより、入浴等で就寝の準備。

 


「系外惑星と太陽系」 続き

2025年01月13日 21時30分50秒 | 読書

 第1章の第3節「系外惑星の姿」を読み終え、第2章「太陽系の形成は必然だったか」の第1節「美しい古典的標準モデル」へと読み進んだ。

 第1章の最後に次のような記述があった。
ニュースで゛地球に似た惑星発見!」「第二の地球発見」というものが繰り返されるが・・・ハビタブル・ゾーンの惑星は、惑星環境としては地球からかけ離れたものになっていると予想される。報道はいまだに地球中心主義にとらわれているようだ。かつては、空想の翼を広げていたはずのSF映画は地球中心主義の描写になりがちである。・・・現実の系外惑星研究の発展があまりに急速で、空想の翼を広げていたはずのSF映画ですら、最近では現実に追いついていない。
 未だ天動説から地動説から脱しえないでいる時代を彷彿とさせる指摘である。「想像力の貧困」ということについては、社会全体を見渡せば、おおいに肯けるものがある。

   


「系外惑星と太陽系」

2025年01月12日 21時50分16秒 | 読書

 まだ少々まぶたの腫れと痒みと赤味は残るが、それほど気にはならなくなった。それよりも冷たい空気が目に痛い。本日は8.8℃と9℃に届かなかった。
 午前中は団地の管理組合の諮問機関の会議と団地内の若干の巡回。日がかげってしまい、寒さにふるえて早々に終了した。簡単な作業を考えていたが、中止にした。

    

 本日は横浜駅までいつものように歩いたが、読みかけの「鬼の研究」をリュックに入れるのを忘れてしまった。有隣堂の新書コーナーでたまたま「系外惑星と太陽系」(井田茂、岩波新書)を見つけた。発行は2017年2月。7年前で最新の動向からは少しズレがあるかもしれないが、私にはこれで充分と考えて購入。早速、「はじめに」と第1章「銀河系に惑星は充満している」の第1節「惑星系は普遍的な存在である」を読み終えた。


点眼薬のアレルギー

2025年01月11日 20時48分47秒 | 病い

 再度昨日と同じ眼科に行き、別の点眼薬を処方してもらった。実は年末に眼圧があまり低くならないので、緑内障の点眼薬をこれまでのものにプラスしてもう一種類追加処方してもらった。しかしまぶたが痒くなり、腫れぼったくなった。昨日の代診の医師はかゆみ止めの点眼薬を処方してくれた。しかし薬のアレルギー反応が起きたときの対応として、私には納得できない処置に思えた。本日もう一度いつもの世話になっている医師に診てもらった。
 この医師は即座に新しい点眼薬の中止を決めてくれた。さらに、昔処方してくれていた点眼薬を年末の薬とは別に処方してくれた。1週間これで様子を見て、再度受診にくるように言われた。私からすると当然の処置というか、対応である。
 本日は朝からいつもの点眼薬だけを使用したので、まぶたの不快感、痒みは薄らいでいる。ホッとしている。年末と昨日に処方された点眼薬は先ほど廃棄。明日から本日処方してもらった点眼薬を付け加えて使用する。これでどうなるか、様子見である。

 いつもの薬局で薬を処方してもらってから、妻と喫茶店で昼食休憩。そののち地下鉄でいつまは行かない駅近くのホームセンターや農協の売店で買い物。夕食も外食で済ませた。
 本日はこのまま読書タイムもなしに、夜のウォーキングと就寝準備。


病院・薬局に時間を費やす

2025年01月10日 21時11分11秒 | 病い

 風がなく実際の最高気温9.7℃よりも温かく感じた日であった。午前中は親の通院の付き添い。本日は家からすぐ近くの病院。昼前に終わり、午後からは私自身の眼科の通院。午後はいつもより混んでいた、1時間ほど待たされた。薬局でも30分ほどかかった。
 昼食後病院の午後の診療開始時間までは横浜駅でいつものとおり書店をまわり喫茶店で30分程の読書タイム。
 「鬼の研究」(馬場あき子)の第4章「天狗への憧れと期待」の第1節「幻の大会(だいえ)」と第2節「天狗と飛行空間」を読み終えた。
 細切れの読書タイムのために、これまでに読んだ箇所の記憶がどんどん薄れていくのが何とも情けない。記憶力の減退も悲しい。付箋はいくつも貼ってはいるが、それを繋げるだけの記憶力と文章能力が湧いてこない。愚痴と弱音であるが。何とかしたいもの。

 いつものように夜のウォーキングの時間か迫ってきた。かなり冷えても来たようだ。本日は3000歩程で終了したい。

 


温かい日和

2025年01月09日 21時42分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中に退職者会のブロックのニュースの原稿づくりを完了。A4の両面ということもあり、いつも3日ほどで原稿は出来上がる。
 印刷は今度の土・日か、来週の土曜日にしたい。自分のプリンターを使用してカラーで90部ほど。こういう場合はビジネス仕様のインクボトルのプリンターは便利である。ランニングコストも安価だし、時間もかからない。
 午後からはいつもの横浜ではなく、新横浜の駅構内の喫茶店に出かけてみた。地下鉄で一駅歩いてから乗車。家電量販店や書店を一回り。いつもとは違う喫茶店で一服、短時間の読書タイム。
 帰りに横浜に出て、家電量販店でパソコンの周辺機器の値段を比較してみた。若干の値段の差や、展示品に差はあるものの、基本的には大きな違いはなかった。特に購入したいという危機ではなく、単に比較してみただけ。時間と労力の無駄かもしれないが、今後に高価な商品を購入する場合の参考になるかもしれない。
 書店も家電量販店もいつも見慣れている展示のほうが見易いものである。

 本日は厚着をして出たら商業施設の中は温かく、上着を脱ぎたくなった程である。明日はかなり冷え込むらしい。

 


もうひとつの原稿づくり

2025年01月08日 20時34分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩はお粥を作ってくれた。七草のパックは値段が高いこともあり、今年は三つ葉とワカメ、青ノリを入れた「七草がゆもどき」。要はお粥であれば私は満足なのである。お粥はこの日だけでなく、いつも食べたいと思っている。一応私の妻もそれを理解してくれている。

 本日の午前中は退職者会の私の属するブロックニュース(A4版両面)の原稿づくり。ブロック代表の私の年頭あいさつなどを記事にした。面積的には70%終了。
 午後からは親の通院の付き添い。二つの病院から戻ったのは16時半。タクシーでの往復なので1000歩に満たない歩数。
 いったん帰宅した後、夕食の買い出しのお手伝いで横浜駅までの往復。帰りは遠回りのコースでウォーキング。帰宅したときは8000歩。これより5000歩程のウォーキングに出かけることにした。

 明日は特に予定はないので、明日のうちにニュースの原稿は出来上がる。印刷は19日に発送である。


普段使いのリュックを更新

2025年01月07日 20時52分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 久しぶりにみなとみらい地区にある山の用品店に出向いて、普段使うリュックを購入した。昨日まで使っていたリュックは20年以上前に妻が背負うために購入したもの。内側の布地の端の処理があまり芳しくなく、どんどんほつれてきてしまうようになった。
 もう山にはいかないが、最近の山用の15~30リットル程度のリュックは軽く、街中で使うにも便利な作りになっている。ポケットもそれなりについている。最近は20リットルでは詰め込み過ぎると重くてつらいので、今回は15リットルのもの、しかも女性用のリュックを購入した。
 女性用は肩幅が男性用より少しせまく、そして高さも低くめにしてあるとのこと。実際に背負ってみると肩幅については特段違和感はなく、高さもかえって底がお尻に触れないので楽であった。ノートパソコンも入れられるし、入れても重く感じない。気に入ったものを手に入れることが出来て満足。しかし1万2千円も支払ってしまった。

 帰り際に、MM線のみなとみらい駅構内にある喫茶店でコーヒー&読書タイム。「鬼の研究」(馬場あき子)の第3章「王朝の暗黒部に生きた鬼」の第2節「土蜘蛛の衰亡と復讐」の後半、第3節「雷電と鬼」、第4節「鬼の心と呪術の世界」を読んだ。いよいよ次からは第4章「天狗への憧れと期待」に入る。残りが少なくなり、読み進めるのがもったいなくなってきた。
 引用や感想は別途。

 さらに横浜駅で、いつものように書店、家電量販店、百円ショップなどを見て回ってから帰宅。帰宅時間が18時を過ぎてしまった。
 


読了「図書1月号」

2025年01月06日 14時44分19秒 | 読書

   

 ようやく読書をする気になってきた。今月号は一応全編に目を通した。今回は特に気になったものだけをピックアップ。
 表紙は志村ふくみの小裂(こぎれ)。
 「志村ふくみは長い作家人生のなかで織りためた小裂を大切にとっておき、何冊かの小裂帖としてまとめている。今年一年間、『図書』の表紙に小裂が一点ずつ掲載される。小裂は心の断片であり、どんな小さな裂にも心が宿っている。「糸のあわいから、響いては消えてゆくかすかなさざめき」に耳を澄ませていただければ、と心から願っている」(志村昌司、「小裂への想い」)。
 この表紙について、青野暦による[表紙に寄せて]は「our music」はこの表紙の小裂に寄せた詩。100歳を超えた志村ふくみの積み重ねた作品の集成「小裂帖」にある作品に、30代前半の若い詩人がどのような感性を共振させるのか、興味深いところ。しかし若い詩人の感性に私は追いつけなく、かつ理解できるとは到底思えない。
悪い考えを耳に吹き込む悪魔と、暖炉の炎と、談笑しながら、一角獣の背を撫でていた/きみと会えなかった。日の、毛並み、波心地、unicorn、庭、閉じていて‣‣‣」と多分「15世紀末のフランドルで織られた連作タピスリー《貴婦人と一角獣》」の背景の色と呼応している。
 「若き詩人へ」(志村ふくみ)は青野暦の詩への返信。
 さらに「物を物として分析、解明してゆく方向とは逆の、物とは何か、物を物として存在させているものの領域というか、知識や努力では通れない、何か決定的な厳しい関門があるように思われた。」(志村ふくみ、「雪の湖」)が引用されていた。

・富士山とアラビアンナイト(西尾哲夫)
ガランの仏訳「千夜一夜」は1704~1717年にかけて出版された。1704年は1707(宝永四)年に富士山の大噴火が起こった。マロン派キリスト教徒が「アラジンと魔法のランプをガランに語った。宝永大噴火によって日本では農作物の不作がもたらされたが、1708年には当時の中東でも不作と飢饉がつづいたため、マロン派はフランス国王に庇護を求めた。バリも1708年暮れから翌年にかけて大寒波となり、フランス全土で60万人もの死者が出た。大きな気候変動が人間の歴史を変えることがある。1780年代には世界各地で火山の大噴火が起こり、地球全体が長期にわたり異常気象に見舞われた。日本でも浅間山が噴火しで天明の大飢饉が起こったが、フランスでも凶作で民衆の不満が爆発し、1789年のフランス大革命の火蓋が切られた。

・輸入学問としてのシェイクスピア(前沢浩子)
シェイクスピアは翻訳不可能と断言した漱石は、英文学を英国の文学として「批評的」に理論家することを試みる英文学者であり、また日英同盟に沸く日本社会を冷静に描き出す国民作家でもあった

 


寒さと疲労

2025年01月05日 19時52分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後から体調が芳しくなく、18時過ぎまで3時間以上寝ていた。体がダルかった。正月のダラダラ生活のためか、ウォーキングに精を出し過ぎたためかと反省。
 明日の朝まで様子を見たい。明日の朝に体が快調ならば、心配はなさそう、と楽観している。ということで、夜のウォーキングは中止。
 寒いなか、一か月以上も毎日1万4千歩ほど、そのうち夜は3~4千歩、約30分はウォーキングをしていた。疲れが溜まっていたのだろう。寒さと疲れの蓄積。1週間に一度は休養日が必要、と自覚はしていたが実行できなかった。

 目の保養も兼ねて本日はこれにて就寝。


正月気分も本日まで・・・

2025年01月04日 20時56分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も買い物につき合った。昨日に続いて横浜駅の東口に出向いた。昨日同様西口も東口もおおいに混雑していた。混雑が好きな人はいないと思うが、私もうんざりしながらついて歩いた。途中から東口界隈を抜け出して、みなとみらい地区の神奈川大学のキャンパスの傍のビルまで歩いてティータイム。
 妻の役に立つわけでもなく、ATMならぬ電子マネーの運搬人として後ろからついて歩くのが唯一の役割。しかし歩数計は家についてみると1万歩に達していた。決して早足ではなかったので、運動量としてはそれほどではないが、それなりに疲れた。

 本日も読書タイムは確保できず。そろそろ正月気分から抜け出さないといけない。

 明日の午前中は団地の管理組合の諮問機関の会議。日常が目の前に戻ってきた。これより資料をダウンロードして予習から。


ミュシャ展

2025年01月03日 20時58分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日初売りで大混雑の横浜そごうの6階にあるそごう美術館で「ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者」を見てきた。会期は明後日の5日(日)まで。会期末と年初めということで混雑が心配であったが、それほどではなかった。ミュシャ展の割には人は少なかったのではないだろうか。
 国立新美術館で開催された「ミュシャ展 スラブ叙事詩全20作」は大変な混雑であった。あれからもう7年半以上経っている。

 スラブ叙事詩も見ごたえはあったが、今回はパリ時代の初期のポスターなどが中心の「チェコ在住 個人コレクターのズデニェク・チマル博士」のコレクション展という。

 7年前にも展示されていたミュシャのデビュー作ともいえるポスター「ジスモンダ」(1894)も展示されている。

      
《花》       《四季》       《一日》

 他の図録などを見るとミュシャの作品では連作パネルがなかなか気に入っている。今回は《花》(1894)、《四季》(1896)、《一日》(1899)、《星》(1902)が展示されていた。

 2017年の時に惹かれた《四つの花》(1897)は今回展示が無かったのは残念であった。
 しかし今回展示されている《花》は《四つの花》よりも色彩が鮮やかで、人間のポーズも動的、花の配置も効果的に見え、私は好感を持った。

 アール・ヌーヴォーという世界性のなかで芸術活動を花開かせたミュシャが、実在するかのように感じとってしまった「スラヴ」という幻想の共同体。芸術家は目に見えないものを浮かび上がらせる、と言われる。それが浮かび上がった時代は歴史的な必然ではあったと思うし、それを絵画に収めたミュシャという芸術家は優れた時代感覚を持っていた。しかし、残念ながら21世紀の現在、無残な形でその幻想は惨劇とともに解体されようとしている。
 単純に言い過ぎているが、「民族」という呪縛からの解放は残念ながら方途は見つからないことは確かだ。

 


正月二日の繁華街

2025年01月02日 18時09分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 おせち料理を年末から食べ始めた関係で、本日・明日の食材を購入する必要が出てきて、二人で横浜駅までバスにて出向いた。
 バス停のある国道はガラガラ、大晦日から3ヶ日の間一時間に4本に減便となったバスもいつにもなくガラガラ。歩道を歩く人もまばら。横浜駅前の地下駐車場の入口に並ぶ自家用車も見かけなかった。
 ところがバスターミナルから地下に入ると、いつもの週末のように行き交う人で混雑していた。地上と地下街の人出の落差に驚いた。百貨店は休業中であったこともあり、周囲のスーパーや喫茶店などは混雑していた。
 2日分の夕食の食材とカレンダー2本を購入した時点で妻は帰宅。私は家電量販店へ。しかし家電量販店は多くの人で混雑。諦めて新横浜駅にある別の家電量販店に急遽出向いた。新横浜駅構内はそれほどの人出ではなく、家電量販店もいつもより少し混雑している程度。必要なコードを購入できた。

 本日最初の記事をアップした直後、goo blogに急にアクセスできなくなり、ずいぶんオロオロした。スマホからもアクセスできなかった。ようやく閲覧できるようになったが、まだ完全復帰ではないようだ。サイバー攻撃との報道である。フェイスブックとの連携もおかしくなったままである。


モーツアルト「ピアノソナタ18番」

2025年01月02日 12時17分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 穏やかな日和の正月二日、モーツアルトのピアノソナタを聴きたくなり、内田光子演奏の「ピアノソナタ18番K545、15番K533」のCDを取り出してきた。
 クラシックファンの多くが聴いた記憶にあると思われる18番、15番。特に第18番の軽快な第1楽章は有名である。
 私は緩徐楽章である第2楽章を好んでいる。たっぷりと聴かせてくれる内田光子の演奏は特にお気に入りである。


元日の空

2025年01月01日 20時46分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 二人でいつも行く寺と神社へ。寺で妻は甘酒をご馳走になり、神社では今年巳年の土鈴を手に入れるために出向いた。
 空は雲が多かったがおおむね太陽が照って風もなく温か。
 参拝と賽銭は例年のとおり妻任せ。
 午後になったので、甘酒はもう無いのではないか、という心配は無用で、妻はゴキゲン。
 土鈴は昨年の辰よりも少しだけ小さめになっていた。デザイン上の問題で、材料費の問題ではなさそう。

 帰り道、元旦から開店していたスーパーで蟹の足を購入。本日の夕食は蟹鍋となった。何年ぶりかの蟹の味に満足。