メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

中島みゆきさんライヴレポ@長野県県民文化会館(1987.9.11)

2017-02-19 18:59:48 | 音楽&ライブ
(古いノートをひっくり返していたら、最初で最後、
 長野でみゆきさんのコンサートに行った時のライヴレポが出てきた
 なぜか詩っぽく書いてあるので、適当にまとめて書き直すことにする 2017

「過去のライヴレポまとめ」に追加しました




私は靴が気に入らなかった
気に入って買って、まだ一度も履いていなかったから
どうしてもガマンができなかった
カツカツ町中に響く音や、底の高い、ギクシャクした歩き方も


先生も来ることになっていて、無性に探したかった
それから、先生が私に気づかないことを祈りたかった
とうとう分からなかった
前に似た人がいるのが見えた


この快い緊張感
この祭りの半分はもう味わっていた
リズムが大きく震えた

みゆきさんは、なにより一人の女性だった
テレビでもない、生きた女性だったんだ

アラブのような衣装で
熱砂の砂漠の中を粋がって歩いていた


それから彼女は、ぽつりぽつり客のいる新人歌手になった
私は硬直し、瞳と心だけが動き続けていた


彼女はときに演歌歌手だ
ここら辺から、ぎこちない手拍子が始まる 私も音の出ないように加わった


彼女は疲れた誰かの母親のようでもあった
恋人たちの別れ、男たちの浮気

彼女の動き、声、吐息をそのまま浸透させていく
一瞬で体の中の隅々を駆け抜ける

私は自分の拍手の音が突然耳に入ってきてちょっと戸惑った

彼女は赤いリボンを髪にちぐはぐにつないだ



この世に2人きり
私の心は屋根を突き抜けて天まで届いた
みんなの心は天を突き抜けて宇宙まで届いた
残ったのは、彼女が造ったもう1個の星だけ


F.O.
どこかで、たくさんのドラマがクライマックスを迎えた気がした
2つだけひっそり空いている席がそれを表していた
さっきから気にかかる隣りの1個だけ空いた席は何を物語るのかしら



<MC>

みゆき:
あんまし評判よくない曲が1曲あったのね
私のことでもない、私の周りの誰かのことのようでもない、なんか具体性がないからって
でも、私はとてもこだわりたい気持ちがあって、曲に書き、「女歌」にも書いたわけです

私がまだあんまし売れてない頃、あるアパートに住んでたんだけど
そこに、ある異国の女の人がいたのね

いっつもヒラヒラ、ハラハラのきれーな服着て、金髪で、
化粧も濃くて、とにかく華やか
女の私でもウワーって思うくらいのキレイな人で

んで、何の仕事をしているのか、そん時は知らなかったわけ
でも、出ていく時間がちょうど同じ頃で、よく「今日もがんばろーぜー!」
みたいな感じで右と左に分かれてたの

あとで分かったんだけど、そのひとの仕事は、女に産まれりゃ誰だってできる
究極のお仕事だったんだ

だから、いつも私が「お互いがんばろー」なんて言ってたのを
一体どういう意味にとっていたのかしらって・・・

(会場には笑いが起こった 彼女は突然、うつむき加減に 語尾をちょっとあげて

その日もまたいつものように別れたんです そうして帰ってきたら・・・
彼女は殺されていました 絞め殺されていました
身ぐるみ全部剥がされて、路地の隅に捨ててありました

警察は私に言いました
「当日、この女と別れた時の服装を教えてください」

なんの足がかりもないんですって

私は、その日にかぎって、あのひとの服装を見ていませんでした

私は聞きました

「あんなに目立つひとだったのに
 街を歩いていても、みんなが振り向くほどの綺麗な女なのに
 誰も気がつかなかったんですか
 あのひとは商売をしていて、やっぱり買った奴もいるだろうに、その人は?」

警察のおじさんは笑いました

「街でこの女を買いましたって証言する男なんていやしませんよ いるわけがありません」

とうとう、その事件は犯人も分からないまま、迷宮入りになりました
あの人は何も残さず死んでゆきました

敢えて言えば、そんなコールガールが死んだという噂と
たった4キロの新聞に載った
「コールガール絞殺される」という記事だけでした


私は1回だけ彼女の素顔を見たことがあります
洗濯物を持って、コインランドリーに行った時、
彼女は化粧を落とした顔で立っていました

それは真っ青に青ざめていました
それから、思ったよりずっと老けてたんです
エレーンは言いました

「これが私の普通の顔なのよ」


エレーン

囁くように彼女は歌いだす
私は家にポツンと置いてきてしまったハンカチを思い出してドキっとしていた

初めてみゆきさんを聴いたのは友だちのおかげ

私は隣りの空席を振り向く勇気はなかった
私は浮遊状態 上昇中 抜け殻だけが機械的に手を打つ


シーサイド・コーポラス
今日だけは彼女は私の親友だ
2階の奥で座っているのは誰か見ようとして仰いだけれども
彼女は底なしの近眼で、やっぱり見えやしないんだ




<MC>

彼女はふっとスポットライトを浴びて、パイプイスに腰掛けた
「ギター漫談よ」と笑う

内容抜粋メモ:
“デスマッチツアー”
ベースの伊藤さん、ギターはジャニーズ代理
ビール爆発事件
浪人生への気遣いのため「落ちる」を「着地する」と言う
投げ込みカップメン額直撃事件
スイカ割り事件
スタッフの博多~旭川汽車の旅
薬師丸ひろ子コンサート拝見
長野の産休休暇傾向調査
「見ない、聞かない、人に言わない」
ど近眼なので、裸足でマイクスタンドをたぐりよせ、歌詞の紙を見る
春なのに 柏原芳恵が歌えばセーラー服、私が歌うと怨念の歌
平安堂、完全シカト事件
井上陽水の趣味
セーラー服、10代が着ると清純派、10代過ぎると卑猥なだけ
長野のダイコン畑
ドッキリカメラシートと同色、その人はいた事件


「割と席が2つ空いてたりすると、意外に心配しちゃったりするものよ」

「案外、他のは最後にブワーっと盛り上がった時に、これもんの曲やったりするけど、
 そこはこの私、ちょっとやそっとじゃ帰しやしないわよw」




白鳥の歌が聴こえる

彼女は翼を上げて空を飛んだ
あとに続いて数百人の観客も飛んだ
会場ごと、次の星へとみんなで消滅した
なにも残りはしなかった






みゆき:
今ここにいるみんな、いつかきっとまた顔を見たいと思ってるからね

遅れて入ってきて、席探そうたって、真っ暗でなにも見えやしない

それで、座った時にすかさず「ここまでが良かったのに」とかですね
「これまでが面白かったのよ」なんか、囁いてやりましょうね


この歌聴きたいな、と思ったらですね、レコード店に行ってもらって
買うか買わないかは別として、まずそこで聴いてみることですね
それでよかったら買えばいいじゃないか、ということで遠回しの催促でした

今拍手した人はきっとリッチなんでしょうね
拍手に、いつでもまとまった金が出せるぞ!と込められてました


今はずっと意味のないことを喋る時間なんだから
テープ止めてても大丈夫よ 親切でしょ?


昨日から長野は雨でね
「あら、せえっかくいい服着て行こうと思ったのに 雨で汚しちゃったりしたら嫌だわ」
てなもんで、一番ボロいの着てこなかったか?


もーー中盤ともなりますと、顔もずいぶん変わってきますからね
とくに2階席の人なんか「あらら、みゆきさん出てきた時はああだったかしら?」なんてね
「眼が小さくなったような」もうどーだっていいのよ顔なんかっ!


この前のツアーじゃ、案の定、なんせ長い歌詞なもんですからね、忘れちゃいまして
次から入ろうと思ったら、私はほんとトロいもんですから、入り遅れまして

後ろ振り返って、もう~~~バンドのメンバーちょっとくらい待ってもいいのに!と思いつつ
次のフレーズから入ろうと、ええと次の歌詞はああなってここだから、あれだっ!と思った時は
テンポの速いその曲は、もう次のフレーズに入っていたわけで

なんやかんやで中島はやっとこさ2番から偶然にタイミングが合いまして
無事に波に乗ることができた次第でありやす





そしてその後
さまざまな溢れんばかりの詩が浮かんだ
そして、ついには何も云うことが出来なくなった

だから、ここに
みゆきさん、音楽をありがとう



(このMCを読んでると、あの独特な喋り方が思い浮かぶようだなw
 ♪白鳥の歌が聴こえる は今でも一番好きな歌 2017

 今夜、正確には月曜午前3~5時は「中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ」ですv

中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ(2017.1.15)



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『秘密の花園』

2017-02-19 18:58:48 | 
フランセス・ホジソン・バーネット/著

※1993.9~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。


本来だったら子ども時代に一度でも読んでいるはずの名作だけれども
この間、映画で観るまでは、どんな話か想像もできなかったから不思議

notes and movies(1993.9~ part2)

あらかじめ出来上がっている映像を先に観たから、
自分だけのイメージを持つことはできなかったけれども
それぞれの場面を丁寧に思い出しながら、それに沿って、容易に物語の世界に入り込むことができた


今作は、まさに自然讃歌のよう

始まりから終わりまで、何十種類もの数え切れないほどの木、草、花がイキイキと生い茂る様子
ムーアを突っ切ってゆく冷たい草原の風、ディーコンが仲良くなったいろんな動物たち
~胸の赤いコマドリ、生まれたばかりの子ヒツジ、キツネ、気取ったカラス、リスたち・・・

私たちは、彼ら3人と一緒に、秘密の花園にドキドキしながら入り、
おまけにこの本を手にとれば、いつでも初めて足を踏み入れる興奮
新たな芽吹きを見る不思議な感動を体験することができる!


みんなが少年少女―なにもかもが新しく見え、なにもかもが新しい発見と体験に満ち、
何にも縛られることなく、自分が自分であることすら気にもとめず
とにかく明日の朝を迎えることがしごく当たり前に嬉しかった時代に
わけもなく還ることができる


私はたまたま自然と親しんで育ったほうだから、今でもそれを誇りに思うし、感謝するが
現代の都心の子どもが、子どもらしくなくなりつつある今、
この作品が改めて映像化されたことも、もっともな気がしてくる


冬は雪の中でポカポカ体がほてるまで遊び
春にはそこいら中に魔法がかけられたみたく
小さくて可愛い水色のオオイヌノフグリが絨毯のように咲き始める


その力は、地球が何千年、何万年も、誰に言われることなく繰り返してきたもので
私たちを元気づけ、健康で、幸せにしてくれる


今ではどこもかしこもアスファルトに覆われて、
「自然」がなにかブランドと同じになってきた頃から
人々の心が少しずつ病んで、歪んできたのは、無関係ではないはず


今作では、子どもたちが太ってゆくのを大人たちが嬉しく見守る場面がある
とりわけ、ディコンのおっかさんは、まるで地球全部の生き物の母親のように
おっきな心で、温かく、賢い、女性の理想像のように描かれているのがイイ


しきりに出てくるコリンの「魔法」の話
彼の演説は、幼いながら、私たちがハッとするような真実を見抜いている

おっかさんも言う通り、彼のいう「魔法」とは、すなわち
どう呼ばれようが、地球上どこにでも、宇宙もすべて含めて存在する
自然の力、かみさまの力

その自然の極めてシンプルなことに驚き、人の理解を超える力が固く閉ざした心を開き
苦しみ、悲しみ、妬み、その他、マイナスの要因を溶かしてしまう


インドでは誰からも愛されず、
自分ですら自分のことを好きじゃなかった意地っ張りの少女メアリが花園を見つけて、
ヨークシャーの自由で素朴な気質をもつ、正直なメイドや、庭師と出会ったことで
自己を発見し、友人を持ち、自分と似た性質のコリンを鏡に映った自分のように
客観的に見ることで、他人をいたわり、喜びを分かち合う幸福を見出していく


メアリとコリンは、子どもにはいいとは言えない変わった環境で育てられたこと
そしてついに花園への鍵を見つけて、天使か、森の妖精のようなディコンやおっかさんに出会い
次第に子どもらしい感情に戻っていく様子には
いちいち一緒に笑ったり、泣いたりせずにはいられない


人の真剣で良い「祈り」「願い」は、いつかかなえられること
いつもいいほうへ考えていれば、自然といい方向へと導かれること、そんな不思議な力の存在
それは最近、私もよく考えることで、この作品に当然のように出てきたのはとても嬉しかった


バーネットは、50冊以上も作品を書き残したらしい

『小公女』は、たぶん一度読んだ気がするけれども、
もっと暗いイメージだけが残っている

いつかその1つ1つを読んでみたい


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『小公子』

2017-02-19 18:57:48 | 
フランセス・バーネット/著

※1993.9~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。


『秘密の花園』に続いて手にした本書
今まで読んだことがなかったのが不思議なほど、世界で愛されている児童文学


10歳ほどの少年とは思えない純粋さ、利発さ、理想的な姿の美しさを繊細に描きだして、
伯爵のたった一人の跡継ぎとして何不自由ない生活に迎え入れられても
ちっとも変わることのない純粋無垢、無欲で、心優しい心を世界中の子どもたちに語っている


幼い頃、皆に愛された立派な父が亡くなり、残されたセドリックと美しい母
突然、祖父にあたる伯爵から使いが来て、父の兄2人が亡くなったため
セドリックが跡継ぎとなるべくイギリスの城に住まなければならなくなり
母と子は別々の城に住むことになる


アメリカの女性と結婚したことで、その母子を憎んでいた伯爵が、
次第に少年の優しい心、他人を一番に考えて、けして祖父を疑ったり、怖れたりせず
誰より愛して、誰からも愛される小さなフォントロイを愛して
今までの勝手な自分本意の言動を恥じ、その母と子を愛するにいたるまでの話


イギリス、そして他の国でもいまだに続いている貧富の差や身分階級制度が今作では重要な設定で、
莫大な富を持ちながら、心から分かり合える友人を一人も持たない老伯爵


対照的に、貧しく、学は足りないかもしれないけれども
情け深く毎日をイキイキ暮らしている労働者たち

この双方が、ラストに出会い、ぎこちないなりにお互いに交流しようと努力する様子は
作者、読者の願いの反映でもある


愛する夫を亡くしても、少年を立派に育てあげた母親は、今作のもう一人の主人公
道徳的で、情けある彼女が、ことあるごとに息子に説いて聞かせる
優しくなるための言葉は、いちいち心に沁みわたる

ひとつ疑問が浮かぶとしたら、何度もその母と子の姿の美しさが描かれていること
伯爵やほかの人々が残らずセディをひと目見て気に入るのも
姿が立派だったのが大きな理由に描かれている

読んでいて気持ちはいいけれども、子どもに説くとしたら
やっぱり人は見た目より、心の美しさを説くべきでは?

でも、セディが心躍るたびに「耳まで真っ赤にして」という表現が
何十回も出てくるところは、目にとまらない人はいないだろう
バーネットが今作を自分の息子をモデルに書いたというのも、その要因の1つかもしれない


『秘密の花園』同様、親を亡くした悲しみ、親戚を頼って異国へ渡るという設定も
作者自身の境遇と重なるのが彼女の作品の大きな特徴

それからセディの生涯の友である果物屋のおじさんと、靴磨きの青年が
友の突然の環境変化に親身になって心配するくだりはなんともユーモラスでイイ




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『小公女』(1905)

2017-02-19 18:56:48 | 
原題:A LITTLE PRINCESS
フランセス・バーネット/著 レジナルド.B.バーチ/挿絵

※1993.9~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。


今作は、はるか昔に一度読んだような気がする
すごく湿っぽいイメージしかなかったけれども、
こうしてバーネットシリーズとして改めて読んでみたら、そうじゃなかった


インドから来た高貴な家の子ども
母は亡く、イギリスへと渡る設定は、彼女の作品に通じている
それでも、どの作品も少年少女に愛されて、名作として読み継がれている


主人公セーラは、イギリスの寄宿学校に「特別優待生」として10年間学ぶことになる
親とこんなに長い期間離れて教育させることになにかメリットはあるのかしら?


金持ちの娘として皆から羨ましがられたり、妬まれたり、注目の的でありながら
持ち前の優しい心と、一風変わったお話好きな性格から、
ちっとも驕ったところのない賢い子どもだったが、

ダイヤモンド鉱山を持つ親友のために全財産を投資した挙句に失敗して、友人は行方不明となり、
重い病気にかかったまま娘セーラの名を呼びながら父は亡くなってしまい、

セーラは、プリンセスセーラから、一気に一文無しの乞食同然となり
ミンチン先生ほか、皆から年齢に不相応な雑用でこき使われる女中になる


冬の寒い中、ろくに食べるものもない中でも、何人かの友だちと
暖かく、楽しい“空想”をふくらませ、
ネズミのメルキセデクらを支えにしていた


ある日、インドからの紳士が隣りに引っ越してきて、
おつきの黒人ラム・ダスの思いやりで、セーラや同じ女中のベッキーに
数々の贈り物が届き、2年経って、初めて、その紳士こそ
父の友であり、彼が探し続けてきた少女だと分かり
2人は理解し合って、幸せに暮らすというハッピーエンディング


それぞれの段落ごとに、新たなセーラの友だちを紹介していき
(アーメンガード、ロッティ、ネズミのメルキセデク、ラム・ダス)
ストーリーが進んでいくという読みやすい構成はさすが


それに話の途中何度も“まったく不思議な偶然”が出てくる

例えば、セーラが「乞食だったら・・・」という話をしている時、父の訃報が届き、
「もしお金を拾ったら・・・」と考えていると4ペンス硬貨を拾ったり
サルが迷いこんできたことでラム・ダスと出会い、父の友に出会える

もちろん作り話だから、いくらでも偶然は起こせるけれども
その組み入れ方が自然なところがイイ

いつでも幸運のあとには、同じだけの不運もあるという考えは現実的で
話の中のキャラクターの善悪がハッキリしているのも分かりやすい


少し前まで、ちょうど『小公女セーラ』ってタイトルでアニメをやっていたはずだけど、
これを読み始めた時にはもう終わっていたのが残念

きっと、学校の様子や、イジメっ子のラヴィニアなんかは描きやすいし、
子どもたちにも身近で、親しみやすいストーリーだ

私も含めて、少女の頃は一度は「王女さまになったつもり」になったこともあるだろう
実際の王女さまが、これほど道徳的で、心の広い人かどうかは分からないが


今作のメインテーマは
「もし自分が余計にモノも持っていたなら、それを持っていない人たちに分け与える心」

セーラの持ち物や、きらびやかなドレスにへつらって、
乞食同然の身なりになったら蔑む周囲の人々の心
人は外見だけでは推し量れないものだ、という重要なメッセージもある

前は、同じ乞食で、死ぬほど飢えていた少女は、親切なパン屋の女主人に養われ、
以前、ろくに挨拶もできなかった子は、すっかり健康で、セーラが他の困っている子にも
温かい甘パン(どんなパンだろう 焼きたての甘いパン)を分けてあげよう
というところで物語は終わっている

もっと続きを読んでいたいという気持ちになる



『小公女』も『小公子』も同じ挿し絵画家バーチのものだが、
こじんまりとした絵で、主人公も可愛くて、とても上品

イラスト数はあまり多くはないけど、『不思議の国のアリス』になくてはならない挿絵のように
オリジナルにあるセンスの良さが感じられて、今作にピッタリ


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夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった 谷川俊太郎

2017-02-19 18:55:48 | lyrics
葉書を書くよ

葉書には元気ですなどと書いてあるが

正確に言うとちょっと違うんだな

元気じゃないと書くのも不正確で

真相はつまりその中間

言いかえれば普通なんだがそれが曲者さ

普通ってのは真綿みたいな絶望の大量と

鉛みたいな希望の微量とが釣合ってる状態で

たとえば日曜日の動物園に似てるんだ

猿と人間でいっぱいの


とにかく葉書を書くよ

葉書には元気ですと書くよ

コーラを飲んでから

きみとぼくとどっちが旅に出てるのか

それもよく分らなくなってるけど




草々



(谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』より)


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