メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

絵本『日本の童話名作選 牛女』 小川未明/作 偕成社

2022-01-02 14:48:31 | 
「小川未明まとめ」カテゴリー参照



以前読んだ『赤い蝋燭と人魚』の作者である小川未明さん

タイトルからしてインパクトがある

日本の童話名作選シリーズは
ほとんどが宮沢賢治だから
これまでも何冊も読んだかもしれない

芥川龍之介の『トロッコ』は以前 YouTube 動画の朗読で聞いたことがある
トロッコに憧れていた少年が労働者に乗せてもらうけれども
家から大分離れたところまで来て
連れて来た大人の男2人が少年を下ろして
「もう家に帰れ」と言われて
真っ暗な夜中、線路を伝ってただただ歩いて
家までやっと辿り着いたとても辛い話だった


小川未明の他の作品もこのくらいのハードカバーで
読みやすい絵本として出してくれたらいいな


絵 高野玲子
1938年 中国生まれ
武蔵野美術大学西洋画科卒業
一貫して猫を主題とし、技法は銅版画のアクアチントが得意
毎年個展を各地で開催
童話的作風で多くのファンを持つ



1999年初版

この本は『小川未明全集』講談社 1976年
ならびに『日本幻想文学集成 小川未明』1992年を底本としました

本文中に現在、人権意識の上で不適切とされる表現がありますが、
作品に差別意識がないことと
著作者人格権を考慮して原文のままとしたことをご理解願います


【内容抜粋メモ】

ある村に背の高い大きな女がいました
村の子供たちは「牛女」が通ったと言って
いろいろ言いはやしましたけれど

女は耳が聞こえませんから
のそりのそり歩いて行く様子が
いかにもかわいそうであったのであります

女は優しく、涙もろく
一人の子供を可愛がることは一通りではありませんでした






自分が不具者で父親がないから
みんなにバカにされるだろうということもよく知っていました

牛女は力もあったので、石を運んだりして
よく働き、その日その日を暮らしていました






そんな牛女も病気になり
自分が死んだら誰が子供を見てくれるんだろうと思うと
死んでも死にきれない
何かに化けててでも子供の行く末を見守ろうと思いました






牛女が死ぬと、村の人々は置いていった子供のことを深く察して
皆が面倒を見て育ててやることになりました


子供は母親が恋しくなると、村のはずれに立って
国境(今の県境)の山を眺めると
山の半復に母の姿がハッキリと雪の上に浮き出して見えたのであります







やがて春が来ると
牛女の姿は雪とともに消えてしまったのでありました


子供は村から近い町の商家へ奉公に行き
そこでも西の山を見て恋しい母親の姿を眺めました






ある年の春、子供は商家を飛び出して
南の国へ行ってしまったのであります

その年に限って西の山には
牛女の姿が見えないことでありました


春になると夜に牛女がのそりのそり歩くのを見て
人々はびっくりしました

きっと子供が故郷から出て行ったのを知らないのだろう
子供を探しているのに違いない






その年以来、冬になっても
山には牛女の姿は見えなかったのであります


子供は一生懸命働き、かなりの金持ちとなり
故郷が懐かしくなり帰ってきて
お世話になった人々に厚くお礼を申しました






広い地面を買ってたくさんのりんごの木を植え
諸国に出そうとしました
春には畑一面雪の降ったようにりんごの花が咲きました







ところがりんごの実は悪い虫がついて落ちてしまいます
村のじいさんは「何かの祟りかもしれない」と言う

彼は町から出て、国境に帰ってからも
母親の法事を営まなかったことを思い出し
ねんごろに母親の魂を弔って、真心を込めて法事を営む






あくる年の春、大きなコウモリが他のコウモリを率いているごとく
りんご畑の上を飛び回り、悪い虫をとってくれたため
予想したよりも多くの収穫があったのであります







そして数年の後、彼はこの地方で幸福な身の上の
百姓になったのであります










それだけ子供の幸せを案じていたなら
子供が一生懸命働いて自分の力でりんご畑を作った時に
わざわざ枯らすだろうか?

それは愛じゃなく、執念のエゴな気がした
お経をあげたら鎮まるというところには
仏教の影響も感じる

リンゴが大好きな私としては
白い花がキレイで、赤く実ったリンゴが美味しそうだなあと惚れ惚れしてしまう



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元旦から親と大ゲンカ

2022-01-02 14:23:16 | 日記
パニ障で2012年からかれこれ10年帰省していないから
せめて顔を見て話したいと思い
前回すったもんだしてZOOMで話したのに

今さらZOOMに挑戦

今回も試そうとしたら、さらにモメて
結果、元旦から大ゲンカして
泣きそうになりながら切った

父の言い分:

・やったことないから→去年やったのを忘れた?

・メールがたくさん来て分からない
一定時間来るとZOOMの回線が切れるようだから
何通も送ったのが逆効果に

「それを開いてURLをクリックするだけ」と言っても
「後でやるから」
「今ニュース見てるから」

いやいや、年に何回も電話しないのにテレビ優先てどゆこと?!

なぜメールを開いてくれないのか・・・???

「開いても分からない」
「昔のスカイプと違うから、また勉強する」

いや、しないな
去年も同じこと言ってたし

横にいる母に代わり
パソの使い方を知らなくても
メールくらいは開けるはず

私:
マウスっていう白い機械を机の上で動かすと
画面上の矢印が動くから・・・

母:
分からないからいいや、いいや
またこっちから電話するから

・・・全然、はなから覚える気なし

そして、私の言うことをそのまま横の父になすりつける繰り返し
これが母のクセ

私が傷ついたのは、ZOOMのことじゃなくて
なぜいつも親の都合に合わせるのは私で
私の都合に合わせてはくれないのか?


いや、これはいわゆる「他人軸」で
私が私を優先させればいいことなんだな 「自分軸」

はい、元旦からまた学びましたよ



あ~あ・・・

贈った母の誕プレも、その時間にいなかったから
まだ再配達出来る時間なのに、明日に設定したとのこと

今回送ったオルゴール付きメッセージカードで
また笑ってもらえるはずだったんだけど
笑えない話になってしまった↓↓↓

私ももう二度と電話したくないし


まだまだ私の奥深くにある膿出しの機会が来てるんだな

この今の虚しさ、いつまでたっても理解されない悲しさ、悔しさは
生まれた時からずっと感じながらも抑え続けてきた感情なんだ

それを感じきった時、開放できるって学んだ去年
手放したら、もう執着しないこと

私が私の一番の味方でいること



私はいつでも、ここにいるよ

その先にはすべてがつながっている世界があるという


カラダに意識を向けると
また呼吸が詰まっているのが分かる
ニコプラで教わったタッピングを試してみる

すぐに負の気持ちを紛らわせる方法はいくらでもあるけど
今あるこの感情を感じるのは、私しかいない


どんな親であっても、子どもは心底キライにはなれない
それは私の親も、そのまた親から味わったことと同じかもしれない
負の連鎖を断ち切れるのは私であって、他ではないということ

それは「我慢する」「なかったことにする」「許す」より前に
今の感情を感じきることが先



1つだけハッキリしているのは
これまで表面だけ取り繕ってきただけの関係性は
もう要らないな




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