※「小川未明まとめ」カテゴリー参照
以前読んだ『赤い蝋燭と人魚』の作者である小川未明さん
タイトルからしてインパクトがある
日本の童話名作選シリーズは
ほとんどが宮沢賢治だから
これまでも何冊も読んだかもしれない
芥川龍之介の『トロッコ』は以前 YouTube 動画の朗読で聞いたことがある
トロッコに憧れていた少年が労働者に乗せてもらうけれども
家から大分離れたところまで来て
連れて来た大人の男2人が少年を下ろして
「もう家に帰れ」と言われて
真っ暗な夜中、線路を伝ってただただ歩いて
家までやっと辿り着いたとても辛い話だった
小川未明の他の作品もこのくらいのハードカバーで
読みやすい絵本として出してくれたらいいな
絵 高野玲子
1938年 中国生まれ
武蔵野美術大学西洋画科卒業
一貫して猫を主題とし、技法は銅版画のアクアチントが得意
毎年個展を各地で開催
童話的作風で多くのファンを持つ
1999年初版
この本は『小川未明全集』講談社 1976年
ならびに『日本幻想文学集成 小川未明』1992年を底本としました
本文中に現在、人権意識の上で不適切とされる表現がありますが、
作品に差別意識がないことと
著作者人格権を考慮して原文のままとしたことをご理解願います
【内容抜粋メモ】
ある村に背の高い大きな女がいました
村の子供たちは「牛女」が通ったと言って
いろいろ言いはやしましたけれど
女は耳が聞こえませんから
のそりのそり歩いて行く様子が
いかにもかわいそうであったのであります
女は優しく、涙もろく
一人の子供を可愛がることは一通りではありませんでした
自分が不具者で父親がないから
みんなにバカにされるだろうということもよく知っていました
牛女は力もあったので、石を運んだりして
よく働き、その日その日を暮らしていました
そんな牛女も病気になり
自分が死んだら誰が子供を見てくれるんだろうと思うと
死んでも死にきれない
何かに化けててでも子供の行く末を見守ろうと思いました
牛女が死ぬと、村の人々は置いていった子供のことを深く察して
皆が面倒を見て育ててやることになりました
子供は母親が恋しくなると、村のはずれに立って
国境(今の県境)の山を眺めると
山の半復に母の姿がハッキリと雪の上に浮き出して見えたのであります
やがて春が来ると
牛女の姿は雪とともに消えてしまったのでありました
子供は村から近い町の商家へ奉公に行き
そこでも西の山を見て恋しい母親の姿を眺めました
ある年の春、子供は商家を飛び出して
南の国へ行ってしまったのであります
その年に限って西の山には
牛女の姿が見えないことでありました
春になると夜に牛女がのそりのそり歩くのを見て
人々はびっくりしました
きっと子供が故郷から出て行ったのを知らないのだろう
子供を探しているのに違いない
その年以来、冬になっても
山には牛女の姿は見えなかったのであります
子供は一生懸命働き、かなりの金持ちとなり
故郷が懐かしくなり帰ってきて
お世話になった人々に厚くお礼を申しました
広い地面を買ってたくさんのりんごの木を植え
諸国に出そうとしました
春には畑一面雪の降ったようにりんごの花が咲きました
ところがりんごの実は悪い虫がついて落ちてしまいます
村のじいさんは「何かの祟りかもしれない」と言う
彼は町から出て、国境に帰ってからも
母親の法事を営まなかったことを思い出し
ねんごろに母親の魂を弔って、真心を込めて法事を営む
あくる年の春、大きなコウモリが他のコウモリを率いているごとく
りんご畑の上を飛び回り、悪い虫をとってくれたため
予想したよりも多くの収穫があったのであります
そして数年の後、彼はこの地方で幸福な身の上の
百姓になったのであります
それだけ子供の幸せを案じていたなら
子供が一生懸命働いて自分の力でりんご畑を作った時に
わざわざ枯らすだろうか?
それは愛じゃなく、執念のエゴな気がした
お経をあげたら鎮まるというところには
仏教の影響も感じる
リンゴが大好きな私としては
白い花がキレイで、赤く実ったリンゴが美味しそうだなあと惚れ惚れしてしまう
以前読んだ『赤い蝋燭と人魚』の作者である小川未明さん
タイトルからしてインパクトがある
日本の童話名作選シリーズは
ほとんどが宮沢賢治だから
これまでも何冊も読んだかもしれない
芥川龍之介の『トロッコ』は以前 YouTube 動画の朗読で聞いたことがある
トロッコに憧れていた少年が労働者に乗せてもらうけれども
家から大分離れたところまで来て
連れて来た大人の男2人が少年を下ろして
「もう家に帰れ」と言われて
真っ暗な夜中、線路を伝ってただただ歩いて
家までやっと辿り着いたとても辛い話だった
小川未明の他の作品もこのくらいのハードカバーで
読みやすい絵本として出してくれたらいいな
絵 高野玲子
1938年 中国生まれ
武蔵野美術大学西洋画科卒業
一貫して猫を主題とし、技法は銅版画のアクアチントが得意
毎年個展を各地で開催
童話的作風で多くのファンを持つ
1999年初版
この本は『小川未明全集』講談社 1976年
ならびに『日本幻想文学集成 小川未明』1992年を底本としました
本文中に現在、人権意識の上で不適切とされる表現がありますが、
作品に差別意識がないことと
著作者人格権を考慮して原文のままとしたことをご理解願います
【内容抜粋メモ】
ある村に背の高い大きな女がいました
村の子供たちは「牛女」が通ったと言って
いろいろ言いはやしましたけれど
女は耳が聞こえませんから
のそりのそり歩いて行く様子が
いかにもかわいそうであったのであります
女は優しく、涙もろく
一人の子供を可愛がることは一通りではありませんでした
自分が不具者で父親がないから
みんなにバカにされるだろうということもよく知っていました
牛女は力もあったので、石を運んだりして
よく働き、その日その日を暮らしていました
そんな牛女も病気になり
自分が死んだら誰が子供を見てくれるんだろうと思うと
死んでも死にきれない
何かに化けててでも子供の行く末を見守ろうと思いました
牛女が死ぬと、村の人々は置いていった子供のことを深く察して
皆が面倒を見て育ててやることになりました
子供は母親が恋しくなると、村のはずれに立って
国境(今の県境)の山を眺めると
山の半復に母の姿がハッキリと雪の上に浮き出して見えたのであります
やがて春が来ると
牛女の姿は雪とともに消えてしまったのでありました
子供は村から近い町の商家へ奉公に行き
そこでも西の山を見て恋しい母親の姿を眺めました
ある年の春、子供は商家を飛び出して
南の国へ行ってしまったのであります
その年に限って西の山には
牛女の姿が見えないことでありました
春になると夜に牛女がのそりのそり歩くのを見て
人々はびっくりしました
きっと子供が故郷から出て行ったのを知らないのだろう
子供を探しているのに違いない
その年以来、冬になっても
山には牛女の姿は見えなかったのであります
子供は一生懸命働き、かなりの金持ちとなり
故郷が懐かしくなり帰ってきて
お世話になった人々に厚くお礼を申しました
広い地面を買ってたくさんのりんごの木を植え
諸国に出そうとしました
春には畑一面雪の降ったようにりんごの花が咲きました
ところがりんごの実は悪い虫がついて落ちてしまいます
村のじいさんは「何かの祟りかもしれない」と言う
彼は町から出て、国境に帰ってからも
母親の法事を営まなかったことを思い出し
ねんごろに母親の魂を弔って、真心を込めて法事を営む
あくる年の春、大きなコウモリが他のコウモリを率いているごとく
りんご畑の上を飛び回り、悪い虫をとってくれたため
予想したよりも多くの収穫があったのであります
そして数年の後、彼はこの地方で幸福な身の上の
百姓になったのであります
それだけ子供の幸せを案じていたなら
子供が一生懸命働いて自分の力でりんご畑を作った時に
わざわざ枯らすだろうか?
それは愛じゃなく、執念のエゴな気がした
お経をあげたら鎮まるというところには
仏教の影響も感じる
リンゴが大好きな私としては
白い花がキレイで、赤く実ったリンゴが美味しそうだなあと惚れ惚れしてしまう