メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

「Radiohead エド・オブライエン」@ビッグイシュー

2020-12-11 17:10:55 | 
【THE BIG ISSUE VOL.393】

「オフグリッドな暮らし」@ビッグイシュー



【内容抜粋メモ】

17歳で後にバンドを組むこととなるメンバー全員と知り合った

エド:強烈な引力を感じて、全エネルギーをバンドに注ぎたいと思うほどの瞬間でした


10歳の時、両親の離婚で自分の殻に閉じこもり
母親がその後、別の男性と再婚したことも傷を広げた

エド:
両親の離婚をあまり気にしないようにしていたけれど
実際は大きなトラウマになっていた

当時は離婚問題の扱い方があまり知られてなかった
間に挟まれる子供の気持ちに目が向けられず
夫婦間の問題と見られていた



そんな時、現実逃避できるのが音楽だった
ボブ・マーリー、ブロンディ、バート・バカラック、、、

初めてセッションしたのはザ・カルト


1992年にメジャーデビュー
シングル『クリープ』が大ヒット

97年のアルバム『OKコンピューター』で頂点に立つ

インターネット創世記にオンラインを通じてファンを増やした
最初のバンドとも称される

エド:
28歳足らずで小奇麗な一軒家を手に入れるという夢を叶えた
でも子供の頃に蓋をしていた感情で
抑うつ状態に陥り長い間苦しみました

バンドが成功しても心の穴は埋められなかったのです
当時ずっと抑え込んできた感情に真摯に向き合うしかなかった

酒をやめたのは本当に良かった
アルコールや薬物などの依存から距離が取れるようになった


アルバム『Kid A』は電子音など「ロックらしくない」楽器を多用し
その衝撃は固定観念を壊し
「オルタナティブ・ロック」を開拓したと言われている

今では一般的となったオンラインで楽曲を配信するプロモーションも同作がさきがけ

当時、音楽業界の宣伝媒体といえばラジオとMTVが定番だった

Radiohead とレコード会社は
発売前に曲が聴けるソフトを無償で公開
ファンが拡散することでチャート1位を獲得


エド:
ソロ活動も活発になったが、彼らを競争相手だと思ったことはない

子供の誕生こそ自分の望んでいたことだと感じた
出来るだけ子供と一緒にいたかった



2012年にブラジルに家族で移住







メジャーデビューからまもなく30年のレディオヘッド
「陰気な連中の集まり」だと誤解している人も多い

エド:
その理由もだいたいわかります
バンドがバラバラになってしまう危険があり

この世で一番かっこいいバンドは?とみんなで考えて
出た結論が Massive Attack でした

彼らのように舞台裏を見せないこと
感情を表に出さないことを大事にしたいと思った

僕が死に際に思い出すのは
5人だけで笑って過ごした時間だと思います




レディオヘッドは新型コロナのステイホーム期間
YouTube で過去のライブ映像を次々に公開
日本の埼玉公演や SUMMER SONIC も含まれている











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