イギリスでは、まず「大英博物館」を見学。収蔵された世界中の貴重な歴史的展示品に圧倒されました。
そこには大航海時代から抱えた多くの植民地などから、強権的に収集した貴重な文化遺産が詰まっていました。ギリシャが返還を要求しているパルテノン神殿のレリーフも一隅を飾っていました。
訪問当時のイギリスの経済状況は決して芳しくなかったのですが、ガイドの説明で、かってイギリスの植民地だった国々から多くの難民を受け入れなければならないのも原因の一つだと知りました。
日本は難民の受け入れに厳しい国として知られていますが、今後、外国労働者の受け入れなど、どうして行くべきなのかが課題だと思いました。
ロンドンでは、同じ町から参加した女性と二人で、ロンドン郊外の「母子家庭」に1泊だけホームスティをして、イギリスの庶民の暮らしを体験できた事も大きな収穫でした。
食事は昼食(場合によってはブランチ)がメインで、夕食は簡単に済ませるのです。
行った日に最初に出された夕食は、「コーン入りマッシュポテト」一皿と「オレンジジュース」1杯だけでした。正直、夕食としては貧弱すぎるとびっくりしました。
翌朝は「パン」と「スクランブルエッグ」「紅茶」でした。昼は「チキンソテー」と「ポテトサラダ」「コーヒー」だったと記憶しています。やっぱり昼食が一番、品数もボリュームもありました。
11月下旬のロンドンは気温も低く、寒くなって来ていましたが、その家の居間に置かれた電気ストーブに火はなく、赤い炎の絵が張ってあるだけでした。
母親は、その夜、二人の小学生の娘を階段下の狭い場所に寝かせ、娘達のベットを私達に貸してくれました。
私はお土産用に日本から、折り紙と簡単な折り紙の本を持参して行って、二人の子どもに教えました。見ていた母親から「子どもは折り紙をどこで習うのか」と聞かれたので、「親や学校などで習う」と答えると、「父親もできるのか」と言います。それで「日本人なら誰でも鶴位は作る事ができます」と答えたら、「日本人は箸を使ったり、折り紙をするので頭が良くなるのですね」と言われ、的を射ていると思いました。
『ボランティア』を世界で初めて提唱し、国の政策にも取り入れさせた博士から講義を受けました。
日本にも来たことがある博士は、その時、私達に「新潟沖地震の時、地震の中で日本人が真っ先に考えた事は何ですか」と聞きました。「自分の命を守るために逃げる事だけですか」「他の人の事は考えないのですか」と、私達は厳しく問われました。
「阪神淡路大震災」以降、日本でも「ボランティア」の存在が関心を集めていますが、イギリスでは既に博士の提唱で、公務員は政策作りのために実際にホームレスを体験したり、学校や病院、各種の社会施設、公園、駅などで、多くのボランティアが活動していたのです。また、アフリカ諸国でも大勢のイギリスの若者がボランティアとして行き、活動していると聞きました。
「ボランティア」とは「自ら進んでする行為」なのですが、イギリスでは、それに打ち込む人には全くの無償という事ではなく、生活費と住居を提供する事が多いと知りました。だから半年~数年間、仕事を休んでボランティアする人も大勢いるのだと思いました。
ロンドン郊外の小学校を視察した日、日本人を含めた何人かの母親達が、授業の助手のような立場で「ボランティア」として来ていました。放課後のクラブ活動的な事にも参加するそうです。
なお、小学校の授業の様子ですが、子ども達は自分で作った時間割に沿って勉強をします。先生は「勉強」を教えるのではなく、「勉強の仕方」を教えるだけなのです。だから教室では、一人一人が違うことを実に静かに勉強していましたし、先生はこどもから何か聞かれると、それに答えていました。ある子は算数、ある子は国語、ある子は絵を画くという具合です。
教室の後ろには勉強に必要な各種の図書類も置いてあり、何か調べていた子どももいました。
私の知っている日本の子どもと違い、全く静かに物事に集中している姿を初めて見て、私は子どもの別な姿をそこで再発見した思いでした。
また、その小学校の場合は、午前の部と午後の部の二部制になっていて、別な子ども達が昼からやってくるのだと言っていました。
低学年の教室の人数はわずか十数人でしたので、当時の日本の大人数の教室とはまるで比べ物になりません。
階層的に貧しい親達が多いというその学校では、黒人、アジア人、欧米人など、色々な人種と思われるこども達がいて、イギリスが多民族国家だということを示していました。
短時間でしたが、この公立小学校訪問で、私は貴重な体験をする事ができました。
また、ロンドン市内の交差点にある「信号機」が、その頃の日本の物と比べ、珍しかったです。
日本では当時まだ、「信号機」と言えば3色のものだけでしたが、「ロンドン」では「3色の信号」の下に歩行者用信号機が縦型に付いていて、止まれは×印が赤く点灯し、進めは人が歩く絵が明るく光って浮き出る仕掛けでした。 これだと色弱者でも絵や形のライトで正確に見分ける事ができ、とても良いと思いました。
日本でも最近は、多様な生活場所や用具に、障害のある人にも使いやすい「ユニバーサルデザイン」が普及して来ましたが、その先駆けだったと思います。さすが、ゆりかごから墓場までの伝統を持ったお国柄でした。