私が初めて中欧のハンガリー、チェコスロバキア、オーストリアに行ったのは、冷戦終結後数年経った年の8月でした。
中世の建築物や美術品などの文化遺産も素晴らしく、また、音楽を日常的に楽しむ国民性を羨ましく思いました。
ハンガリーの首都ブタペストで行った野外音楽会は、足を幾つも蚊に刺された事を除けば素晴らしい演奏会でした。中央市場は多様な種類のハム・ソーセージ、チーズなどが所狭しと売られていて市民で賑わっていました。
ウイーンでは世界最初に作られた観覧車に乗り、チョコレート風味のスポンジケーキに生クリームがたっぷりと添えられたザッハトルテを味わいました。
翌日、自由時間に訪れたウイーン美術史美術館では、オランダの農民の生活と寓意画を描いた事で有名なブリューゲルの「謝肉祭と四旬節の喧噪」他、何枚もの絵にも出会い、感激しました。町中では、音楽会のチケットをモーツアルトの仮装をした人が売っていて、楽しめました。
チェコでは、私達が昼食をしたレストランの別室で、結婚式を終えたばかりらしい新郎新婦が、十数人の親族に囲まれて祝宴を開いていました。日本の結婚祝賀会に比べると、とてもこぢんまりしていて、温かい雰囲気が感じられ、好感が持てました。
またチェコは、児童文化に優れた歴史的な業績を上げている国ですが、出店でも手作りの「赤ずきん」や「モグラとズボン」のストーリーを演じる事ができるように工夫された人形が沢山売られていました。娘は、赤ずきんのスカートの下に狼が隠された人形を、私は指の数だけカラスの子がついている手袋人形を記念に買いました。
ヨーロッパとアジアの中継地トルコには1月に行きました。
パムッカレの石灰棚、カッパドキアの岩窟群など、多くの変化ある自然と、トロイ遺跡、エフェス遺跡などの古代遺跡を見ました。私は遺跡では、まるでギリシャやローマに行った様な気分になりました。
また、早朝から寺院の祈祷時間を報せる拡声器の声が響き渡るイスラム文化にも、初めて触れた旅でした。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』を子どもと一緒に見て、撮影地ニュージーランドの素晴らしい自然が見たくなり、1月1日に二人でツアーに参加、出発しました。
赤道を挟み、丁度、日本の反対側に位置するその国は夏を迎えていました。氷河の浸食でできた美しいミルフォードサウンドや無数の羊がどこまでも続く広大な農場で草を喰む牧歌的な光景など、正に映画の通りの雄大な自然がありました。バスが通った道路沿いに『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影セットの一つが残っていました。ワイトモ鍾乳洞では土蛍を初めて見ました。
また、ニュージーランドは食料輸出国ゆえに、国を上げて安全性の管理にとり組む姿が印象的でした。
スーパーマーケットに行きましたが、卵は30~40個単位、牛乳は3~5L単位、肉は1~5kg単位などと、売られている単位がやたら大きく、しかも安いのに驚きました。
車を生産していない国のため、会社名などがそのままに残っている中古の日本車を沢山見かけました。文字を消さないのは、日本車だと良い車だと誇れるからだと聞きました。
日本と違って労働力不足のため、ワーキングホリディの制度を利用して働いている若い日本人を何人も目にしました。
また、ニュージーランドは、オゾン層の破壊が進んでいるという南極に近く、紫外線が強いため、条例で、子ども達を幼稚園や保育所、小学校に出す時は、親には日焼け止めクリームを塗る義務が決められていると聞きました。帰って見ると、私もかなりな日焼けをしていました。
そして一昨年の9月には、ドイツでロマンチック街道を巡って中世の歴史に触れたり、スイスでは登山電車を乗り継いで4000m級のユングフラウ、アイガー、メンヒの展望台まで登りました。
南ドイツでノイシュバンシュタイン城を観光してから、バスでスイスへ向かった時、運転手が、ガソリンを安いオーストリアで入れるからと言って、国境で少し迂回してオーストリアに入りました。20分給油してから、また、スイスへ向かいましたが、国境を超える時は何の検閲もありませんでした。間もなく、スイスらしく、すでに雪を抱いた山々がバスの両側にそびえ立つのを楽しみながら走る内に、まっ暗くなりました。
翌朝、ホテルの部屋のカーテンを開け、窓の外を見てびっくり。目の前にユングフラウが雄大な姿を見せていたのです。
バスで登山電車が出るグリンデルワルドに向かいました。電車に乗り込み、少しずつ高度話を上げて行くにつれ、眺めの素晴らしさに大感激しました。途中で電車を乗り換えて最後の展望台に行きました。そこでは、ユングフラウ、メンヒ、アイガーの雄大な山々が連なっている姿を目の前にできました。遠くにアルプスの山並みも美しく光り輝いていました。自然を観光の目玉にするために莫大な投資をして、世界中から観光客を集めるやり方が羨ましく思えました。
ドイツのライン川下りの船内で、その日が私の誕生日である事をを知った同席のアメリカ人のグループから、急遽「ハッピィバースディ」の歌と飲み物をプレゼントされた事が、旅の良い思い出となりました。
去年春の北イタリアの旅では、その歴史と残された文化、芸術は素晴らしかったのですが、EU統合後のイタリアのせち辛さを強く感じました。
リラがユーロになってから、物価の多くが切り上げられたそうですし、嫌な思いも経験しました。
まず、個人で行ったローマの国立博物館で、10ユーロ札を出して7ユーロの入場券を買おうとしたら、売っていた中年の女性に 『釣りがない』と言われ、暗に釣り分のチップを要求されました。私は釣りができるのを30分も待ってから、もう一度買おうとしましたが、同じ事を言われたので、入場を断って帰って来ました。見ていると、どうやら日本人の私達だけが券売りの女性に狙われた様です。国立の博物館なので、その女性の身分は公務員だと思うのですが…
左下の写真は、中世の小都市サンジミニャーノの塔を門の内側から撮ったものです。右下はベネチァの協会のドームを船の中から撮りました。
また、個人で入ったベニスのレストランで、食後2階のトイレに行った所、入り口に男が二人立ちふさがり、「40ユーロ出せ」と言うのです。私はトイレを断って下に下り、コーヒーを飲んでいたら、暫くしてその男達が下りて来ました。階段の傍のテーブルにいた私達を見て、「金はいらないから使え」と言いました。やっと用を済ませて出ようとすると、何と入り口近くのテーブルでさっきの男達が食事をしているのです。彼らは他人の店で勝手に荒稼ぎをしているマフィアなのだろうと思いました。
バスがトイレを借りるために寄ったお土産屋やカフェの大半は、価格がやたら高い商品を売っていました。日本の価格と比べて私はそう思ったのですが、最後に自分で行ったローマのテルミノ駅地下のコンビニは、現地の人も沢山利用するだけあって、ほとんどが適正価格でした。でもイタリアは消費税が高かったので、私は最小限の物しか買いませんでした。帰りに飛行場の免税店をのぞきましたが、免税で有るはずなのに、これまた値段がほうがいに高くて驚きました。イタリアってそんな国だと思います。お陰で、持って行ったお小遣いのほとんどを残して帰りました。
去年の年末には、初めて常夏の国ハワイの4島巡りのツアーに参加しました。毎朝、次の島に行くための飛行機に乗りました。飛行機がハワイの人の足でした。ハワイ島から隣のマウイ島に飛んだ時、左側の窓からマウナケア山の山頂に並ぶ天文台が見えました。その一つが日本のすばる天文台でした。機会があったら、次はスバル天文台まで行きたいと思いました。
また、北海道に住む私にとっては、ブーゲンビリアやハイビスカスなどの南国の花々が、年中色取りどりに咲き乱れているハワイの気候を羨ましく思いました。でも、四季がはっきりしている日本の気候にも良さがあるとも考えました。
この旅行では、キラウェア火山の火口を散策したり、自由行動日に登ったホノルルのダイヤモンドヘッド登山が一番の良い思い出となりました。
上の写真左は、キラウエァ火山の展望台で撮りました。現地の人が信仰している恐ろしい女神様の怒りを沈める(噴火を抑える)ために供えた花かも知れません。右の写真は、オアフ島のダイヤモンドヘッド頂上から、州都ホノルルの市街を撮影しました。この日は、登山口に着くまでは小雨が降っていましたが、登り出すと晴天になりました。
中世の建築物や美術品などの文化遺産も素晴らしく、また、音楽を日常的に楽しむ国民性を羨ましく思いました。
ハンガリーの首都ブタペストで行った野外音楽会は、足を幾つも蚊に刺された事を除けば素晴らしい演奏会でした。中央市場は多様な種類のハム・ソーセージ、チーズなどが所狭しと売られていて市民で賑わっていました。
ウイーンでは世界最初に作られた観覧車に乗り、チョコレート風味のスポンジケーキに生クリームがたっぷりと添えられたザッハトルテを味わいました。
翌日、自由時間に訪れたウイーン美術史美術館では、オランダの農民の生活と寓意画を描いた事で有名なブリューゲルの「謝肉祭と四旬節の喧噪」他、何枚もの絵にも出会い、感激しました。町中では、音楽会のチケットをモーツアルトの仮装をした人が売っていて、楽しめました。
チェコでは、私達が昼食をしたレストランの別室で、結婚式を終えたばかりらしい新郎新婦が、十数人の親族に囲まれて祝宴を開いていました。日本の結婚祝賀会に比べると、とてもこぢんまりしていて、温かい雰囲気が感じられ、好感が持てました。
またチェコは、児童文化に優れた歴史的な業績を上げている国ですが、出店でも手作りの「赤ずきん」や「モグラとズボン」のストーリーを演じる事ができるように工夫された人形が沢山売られていました。娘は、赤ずきんのスカートの下に狼が隠された人形を、私は指の数だけカラスの子がついている手袋人形を記念に買いました。
ヨーロッパとアジアの中継地トルコには1月に行きました。
パムッカレの石灰棚、カッパドキアの岩窟群など、多くの変化ある自然と、トロイ遺跡、エフェス遺跡などの古代遺跡を見ました。私は遺跡では、まるでギリシャやローマに行った様な気分になりました。
また、早朝から寺院の祈祷時間を報せる拡声器の声が響き渡るイスラム文化にも、初めて触れた旅でした。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』を子どもと一緒に見て、撮影地ニュージーランドの素晴らしい自然が見たくなり、1月1日に二人でツアーに参加、出発しました。
赤道を挟み、丁度、日本の反対側に位置するその国は夏を迎えていました。氷河の浸食でできた美しいミルフォードサウンドや無数の羊がどこまでも続く広大な農場で草を喰む牧歌的な光景など、正に映画の通りの雄大な自然がありました。バスが通った道路沿いに『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影セットの一つが残っていました。ワイトモ鍾乳洞では土蛍を初めて見ました。
また、ニュージーランドは食料輸出国ゆえに、国を上げて安全性の管理にとり組む姿が印象的でした。
スーパーマーケットに行きましたが、卵は30~40個単位、牛乳は3~5L単位、肉は1~5kg単位などと、売られている単位がやたら大きく、しかも安いのに驚きました。
車を生産していない国のため、会社名などがそのままに残っている中古の日本車を沢山見かけました。文字を消さないのは、日本車だと良い車だと誇れるからだと聞きました。
日本と違って労働力不足のため、ワーキングホリディの制度を利用して働いている若い日本人を何人も目にしました。
また、ニュージーランドは、オゾン層の破壊が進んでいるという南極に近く、紫外線が強いため、条例で、子ども達を幼稚園や保育所、小学校に出す時は、親には日焼け止めクリームを塗る義務が決められていると聞きました。帰って見ると、私もかなりな日焼けをしていました。
そして一昨年の9月には、ドイツでロマンチック街道を巡って中世の歴史に触れたり、スイスでは登山電車を乗り継いで4000m級のユングフラウ、アイガー、メンヒの展望台まで登りました。
南ドイツでノイシュバンシュタイン城を観光してから、バスでスイスへ向かった時、運転手が、ガソリンを安いオーストリアで入れるからと言って、国境で少し迂回してオーストリアに入りました。20分給油してから、また、スイスへ向かいましたが、国境を超える時は何の検閲もありませんでした。間もなく、スイスらしく、すでに雪を抱いた山々がバスの両側にそびえ立つのを楽しみながら走る内に、まっ暗くなりました。
翌朝、ホテルの部屋のカーテンを開け、窓の外を見てびっくり。目の前にユングフラウが雄大な姿を見せていたのです。
バスで登山電車が出るグリンデルワルドに向かいました。電車に乗り込み、少しずつ高度話を上げて行くにつれ、眺めの素晴らしさに大感激しました。途中で電車を乗り換えて最後の展望台に行きました。そこでは、ユングフラウ、メンヒ、アイガーの雄大な山々が連なっている姿を目の前にできました。遠くにアルプスの山並みも美しく光り輝いていました。自然を観光の目玉にするために莫大な投資をして、世界中から観光客を集めるやり方が羨ましく思えました。
ドイツのライン川下りの船内で、その日が私の誕生日である事をを知った同席のアメリカ人のグループから、急遽「ハッピィバースディ」の歌と飲み物をプレゼントされた事が、旅の良い思い出となりました。
去年春の北イタリアの旅では、その歴史と残された文化、芸術は素晴らしかったのですが、EU統合後のイタリアのせち辛さを強く感じました。
リラがユーロになってから、物価の多くが切り上げられたそうですし、嫌な思いも経験しました。
まず、個人で行ったローマの国立博物館で、10ユーロ札を出して7ユーロの入場券を買おうとしたら、売っていた中年の女性に 『釣りがない』と言われ、暗に釣り分のチップを要求されました。私は釣りができるのを30分も待ってから、もう一度買おうとしましたが、同じ事を言われたので、入場を断って帰って来ました。見ていると、どうやら日本人の私達だけが券売りの女性に狙われた様です。国立の博物館なので、その女性の身分は公務員だと思うのですが…
左下の写真は、中世の小都市サンジミニャーノの塔を門の内側から撮ったものです。右下はベネチァの協会のドームを船の中から撮りました。
また、個人で入ったベニスのレストランで、食後2階のトイレに行った所、入り口に男が二人立ちふさがり、「40ユーロ出せ」と言うのです。私はトイレを断って下に下り、コーヒーを飲んでいたら、暫くしてその男達が下りて来ました。階段の傍のテーブルにいた私達を見て、「金はいらないから使え」と言いました。やっと用を済ませて出ようとすると、何と入り口近くのテーブルでさっきの男達が食事をしているのです。彼らは他人の店で勝手に荒稼ぎをしているマフィアなのだろうと思いました。
バスがトイレを借りるために寄ったお土産屋やカフェの大半は、価格がやたら高い商品を売っていました。日本の価格と比べて私はそう思ったのですが、最後に自分で行ったローマのテルミノ駅地下のコンビニは、現地の人も沢山利用するだけあって、ほとんどが適正価格でした。でもイタリアは消費税が高かったので、私は最小限の物しか買いませんでした。帰りに飛行場の免税店をのぞきましたが、免税で有るはずなのに、これまた値段がほうがいに高くて驚きました。イタリアってそんな国だと思います。お陰で、持って行ったお小遣いのほとんどを残して帰りました。
去年の年末には、初めて常夏の国ハワイの4島巡りのツアーに参加しました。毎朝、次の島に行くための飛行機に乗りました。飛行機がハワイの人の足でした。ハワイ島から隣のマウイ島に飛んだ時、左側の窓からマウナケア山の山頂に並ぶ天文台が見えました。その一つが日本のすばる天文台でした。機会があったら、次はスバル天文台まで行きたいと思いました。
また、北海道に住む私にとっては、ブーゲンビリアやハイビスカスなどの南国の花々が、年中色取りどりに咲き乱れているハワイの気候を羨ましく思いました。でも、四季がはっきりしている日本の気候にも良さがあるとも考えました。
この旅行では、キラウェア火山の火口を散策したり、自由行動日に登ったホノルルのダイヤモンドヘッド登山が一番の良い思い出となりました。
上の写真左は、キラウエァ火山の展望台で撮りました。現地の人が信仰している恐ろしい女神様の怒りを沈める(噴火を抑える)ために供えた花かも知れません。右の写真は、オアフ島のダイヤモンドヘッド頂上から、州都ホノルルの市街を撮影しました。この日は、登山口に着くまでは小雨が降っていましたが、登り出すと晴天になりました。