花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

映画「エネミー・ライン」を見て

2010年01月28日 | TV・映画・音楽・美術
昨夜TVで2001年に製作されたアメリカ映画 「エネミー・ライン」を見た。
普段なら戦争映画はあまり趣味で無いのだが、新聞の解説にボスニアが舞台とあったし、マイケルムーア監督の作品ということで見たのだ。
題名の和訳は、「安全地帯」とあったが、指示された安全地帯を求めて逃げ惑う兵士は、結局また、撃墜された「敵陣」のど真ん中に戻る事になるのだ。

映画は、ソビエト連盟崩壊後のバルカン半島に起きた民族対立戦争末期、NATO軍が停戦させた後にボスニアで起きたセルビア人民軍の民間人ムスリム(ボスニア人)の虐殺という戦争犯罪がテーマだった。

映画の最初、アメリカ軍の偵察機が迎撃ミサイルの攻撃を受け、撃墜される場面には驚いた。
勿論映画にはCGが使われたのだが、それにしても近代兵器迎撃ミサイルの正体を初めて見て、ぞっとした。

生き残った兵士がたった1人でボスニアの山中を逃げ回る場面で、石灰岩がむき出しの山々が続く光景に、昨年9月に見て来たボスニア・ヘルツェゴビナの景色が重なった。

ボスニアが1992年に最初の独立宣言をした頃の民族分布は、ムスリム(ボスニア)人44%、クロアチア人17%、セルビア人33%だったという。
独立に先立って行なわれた2月の住民投票は、反発したセルビア人の大半が棄権する中で、結果的に90%以上の賛成となり、独立が宣言されたと言う。
ECは4月6日承認、5月には国連加盟を果たしたが、あくまでも民族の独立を求めるセルビア人がこの直後から軍事行動を開始し、民族浄化策の下、ムスリム人、クロアチア人を殺戮した。
自分達の領土を広げるために、他民族の女性を陵辱して妊娠させ、産まざるを得なくなってから開放すると言う嫌がらせをし、近隣に住めなくさせて行ったらしい。考えるだけでおぞましい。
最初は軍事力で上回るセルビア人が優勢だったが、NATO軍の大規模な空爆作戦により1995年10月13日に停戦が実現し、内戦が終結したのだという。

それから数年後に、この映画が製作されたことになる。
マイケルムーア監督は、この映画を見る人々に何を訴えたかったのだろうか。
オバマ大統領さえも掲げる正義の戦争の必要性だろうか、それとも戦争の裏にある人間の愚かさだろうか。

写真は、去年ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルで撮ったものだ。
①はクロアチア人とムスリム人が川の両側に分かれて対立して戦い、とうとうクロアチア人が石橋を破壊したが、停戦後、国連の援助金で修復された橋である。今ではこの橋と周辺の歴史地区が世界遺産に指定されている。
②は今でも残る建物の壁の銃弾跡。
(当時の旅行記は、カテゴリーの「海外旅行体験ーバルカン諸国」を見て欲しい)

 ① ②




コメント (2)
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