昨日、従姉妹と札幌駅で待ち合わせをして、「インビクタス」を見に行った。
この映画は、長い間の沖合いの島ロベン島での幽閉を解かれ、選挙で大統領に推されたマンデラ氏が、就任直後取った政策の1つが、彼の手腕を象徴するものとして映画化されたものだった。
1年後に南アで開催が決まっていたフットボールのワールドカップ、そこに開催国として出る事に決まっていた南アの弱小ラグビーチームに、彼は民族の融和の願いを託したのだった。
スポーツは、肌の色も人種も宗教さえも乗り越えさせ、人々の心を1つにする力を持っている事を彼は知っていた。
1948~1991年まで43年間の長期に渡って続けられた人種隔離政策後の傷だらけな南アフリカ共和国を安定させ、国民を1つにまとめるため、彼の差別を受けた者こそができる人間的な考え方と粘り強い説得力が、チームも周りも少しずつ変えて行った。
そして、ワールドカップの決勝にまで勝ち進む力をつけたチームが、いよいよ最強のニュージーランドチームと決勝戦でぶつかる。
私は1年7ヶ月前の2008年6月に、ツアーで南アフリカ4カ国を訪れた事がある。
南アの首都ヨハネスブルグでは、ケープタウンへの飛行機の乗り換えをしただけだった。
しかし、人口350万人の南ア第2の都市ケープタウンで見たり聞いたりした事を、今回の映画を見て鮮明に思い出した。
当時、私は帰国後ブログに次のような記事を書いた。
「アパルトヘイトは、最初に南アに入植したオランダ人(自らをボーア(農民)と呼んだ)の黒人選民思想がもたらしたものだと言う。
当時の国民党政府は、国民を白人、カラード(混血)、インド人、黒人に分類し、少数の白人が政治経済を支配し、居住地、教育、就職、宗教、恋愛に至るまで、詳細に白人以外の人種に対して徹底した差別を制度化した。
やがて国内外でアパルトヘイト反対運動が激化。アフリカ民族会議議長だったネルソン・マンデラは捕らえられ、決して逃げ出せないケープタウンの12km沖にあるロベン島に、1990年に釈放されるまでの18年間、幽閉された。
1990年、政府は民族融和政策に転換し、1991年、アパルトヘイトを廃止した。
1994年に行われた初めての総選挙でマンデラが大統領に推された時から、長かった白人単独支配に変わって、多民族が共存する民主主義国家が目指された。」
「今回、私達のケープタウンでの現地ガイドは、白人の男性だった。
彼は、現在の国民の85%が黒人で、政治家の大半も黒人であると話した。
(しかし、wikipediaで調べたら、少し古い2001年の国勢調査の結果が出ていた。それによると白人18.75%、黒人31%、カラード48%、アジア系1.4%となっていた。彼は、「白人以外は85%」と言うべきだったのだろう。)
国の法律で、会社の75%の人員を黒人 (これも多分、正確には、白人以外の意味で彼は言ったのだと思う。) にすることになっていて、違反すると高い税金が課せられるそうだ。白人は55歳で定年となるが黒人はわからないという。
黒人はホームレスでも選挙権が与えられる現在、白人の政治力は低く、白人の子供は会社に入れないので外国に行かざるを得ない。自分の子供もヨーロッパで仕事をしているといっていた。金持ちの中高年も国外に出る人が多いそうである。
確かに私達が行ったレストラン、飛行場、ホテル、観光地で色々な仕事をしていた人たちの多くは黒人だった。
考えると、もともと白人は居ない国だったのだから、アパルトヘイトの反動で、厳しくワークシェアーをすることになったのは歴史的に仕方が無い面があると思った。
2001年、市街地に住む者の失業者は19.4%で、その58%が黒人、38%がカラード、3.1%が白人だったらしいが(wikipediaによる)、現在はこの数値がどう変わったのか興味がある。
しかし、将来的に公教育が行き届けば、やがて適材適所の雇用形態へと変わって行くのではと思った。
いずれにしてもアパルトヘイトが無くなってから二十数年経ち、白人は少数民族として生きて行かざるを得なくなっている事だけは事実らしかった。」
そして今年、サッカーのワールドカップが南アで開催される。
国は国際空港の拡張、道路の整備、環境整備、ホームレスの解消などを急いで来たし、そのための莫大な歳出をして来たが、経済的なひずみが国民生活に大きくのしかかっているのではと気になる。
「ガイドは、空港の近くに何時の間にかできたというホームレスの人達のスラム街を指しながら、「80%の人は仕事を持っていてもここで暮らしている。
水も電気も上手く盗み、地代も税金も払っていない。それを負担しているのは私達一般市民だ。
市は公共住宅を建てて入居を勧めるが、入ると安くても家賃がいるし、公共料金も払わなければならなくなるので、彼らは何時までもここに居たがる。」とこぼしていた。」
近年の南アは、金属資源が多い国として世界中から注目され、多額の投資が集まっていると聞く。
また、黒人の一部は、国と結びついて採掘権などの特権を得、富を得ているらしい。
映画を見て、今後の南アがどうなって行くのか、さらに気になる所である。
マンデラ氏は91歳を越えた。
世界的に有名な英雄の彼が、もしかの時のXデイのために、すでに密かに国はその時の準備を行なっていると聞いた。
なお、映画の大統領執務室に飾られていたオレンジのストレチアには、「マンデラ・ストレチア」という名が付いている事を付記したい。
この映画は、長い間の沖合いの島ロベン島での幽閉を解かれ、選挙で大統領に推されたマンデラ氏が、就任直後取った政策の1つが、彼の手腕を象徴するものとして映画化されたものだった。
1年後に南アで開催が決まっていたフットボールのワールドカップ、そこに開催国として出る事に決まっていた南アの弱小ラグビーチームに、彼は民族の融和の願いを託したのだった。
スポーツは、肌の色も人種も宗教さえも乗り越えさせ、人々の心を1つにする力を持っている事を彼は知っていた。
1948~1991年まで43年間の長期に渡って続けられた人種隔離政策後の傷だらけな南アフリカ共和国を安定させ、国民を1つにまとめるため、彼の差別を受けた者こそができる人間的な考え方と粘り強い説得力が、チームも周りも少しずつ変えて行った。
そして、ワールドカップの決勝にまで勝ち進む力をつけたチームが、いよいよ最強のニュージーランドチームと決勝戦でぶつかる。
私は1年7ヶ月前の2008年6月に、ツアーで南アフリカ4カ国を訪れた事がある。
南アの首都ヨハネスブルグでは、ケープタウンへの飛行機の乗り換えをしただけだった。
しかし、人口350万人の南ア第2の都市ケープタウンで見たり聞いたりした事を、今回の映画を見て鮮明に思い出した。
当時、私は帰国後ブログに次のような記事を書いた。
「アパルトヘイトは、最初に南アに入植したオランダ人(自らをボーア(農民)と呼んだ)の黒人選民思想がもたらしたものだと言う。
当時の国民党政府は、国民を白人、カラード(混血)、インド人、黒人に分類し、少数の白人が政治経済を支配し、居住地、教育、就職、宗教、恋愛に至るまで、詳細に白人以外の人種に対して徹底した差別を制度化した。
やがて国内外でアパルトヘイト反対運動が激化。アフリカ民族会議議長だったネルソン・マンデラは捕らえられ、決して逃げ出せないケープタウンの12km沖にあるロベン島に、1990年に釈放されるまでの18年間、幽閉された。
1990年、政府は民族融和政策に転換し、1991年、アパルトヘイトを廃止した。
1994年に行われた初めての総選挙でマンデラが大統領に推された時から、長かった白人単独支配に変わって、多民族が共存する民主主義国家が目指された。」
「今回、私達のケープタウンでの現地ガイドは、白人の男性だった。
彼は、現在の国民の85%が黒人で、政治家の大半も黒人であると話した。
(しかし、wikipediaで調べたら、少し古い2001年の国勢調査の結果が出ていた。それによると白人18.75%、黒人31%、カラード48%、アジア系1.4%となっていた。彼は、「白人以外は85%」と言うべきだったのだろう。)
国の法律で、会社の75%の人員を黒人 (これも多分、正確には、白人以外の意味で彼は言ったのだと思う。) にすることになっていて、違反すると高い税金が課せられるそうだ。白人は55歳で定年となるが黒人はわからないという。
黒人はホームレスでも選挙権が与えられる現在、白人の政治力は低く、白人の子供は会社に入れないので外国に行かざるを得ない。自分の子供もヨーロッパで仕事をしているといっていた。金持ちの中高年も国外に出る人が多いそうである。
確かに私達が行ったレストラン、飛行場、ホテル、観光地で色々な仕事をしていた人たちの多くは黒人だった。
考えると、もともと白人は居ない国だったのだから、アパルトヘイトの反動で、厳しくワークシェアーをすることになったのは歴史的に仕方が無い面があると思った。
2001年、市街地に住む者の失業者は19.4%で、その58%が黒人、38%がカラード、3.1%が白人だったらしいが(wikipediaによる)、現在はこの数値がどう変わったのか興味がある。
しかし、将来的に公教育が行き届けば、やがて適材適所の雇用形態へと変わって行くのではと思った。
いずれにしてもアパルトヘイトが無くなってから二十数年経ち、白人は少数民族として生きて行かざるを得なくなっている事だけは事実らしかった。」
そして今年、サッカーのワールドカップが南アで開催される。
国は国際空港の拡張、道路の整備、環境整備、ホームレスの解消などを急いで来たし、そのための莫大な歳出をして来たが、経済的なひずみが国民生活に大きくのしかかっているのではと気になる。
「ガイドは、空港の近くに何時の間にかできたというホームレスの人達のスラム街を指しながら、「80%の人は仕事を持っていてもここで暮らしている。
水も電気も上手く盗み、地代も税金も払っていない。それを負担しているのは私達一般市民だ。
市は公共住宅を建てて入居を勧めるが、入ると安くても家賃がいるし、公共料金も払わなければならなくなるので、彼らは何時までもここに居たがる。」とこぼしていた。」
近年の南アは、金属資源が多い国として世界中から注目され、多額の投資が集まっていると聞く。
また、黒人の一部は、国と結びついて採掘権などの特権を得、富を得ているらしい。
映画を見て、今後の南アがどうなって行くのか、さらに気になる所である。
マンデラ氏は91歳を越えた。
世界的に有名な英雄の彼が、もしかの時のXデイのために、すでに密かに国はその時の準備を行なっていると聞いた。
なお、映画の大統領執務室に飾られていたオレンジのストレチアには、「マンデラ・ストレチア」という名が付いている事を付記したい。