花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「ポルトガル旅行」(6)

2014年01月25日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅠ」ポルトガル・英国

≪漁村「アベイロ」と大学町「コインブラ」≫

ポルトガル観光の2日目は、ポルトの南方65kmの漁村「アベイロ」に向かった。
運河沿いでばすを降りて40分程散策した。
彩が豊かなタイル画が目に付いた。また小さな橋の欄干に飾ってある青銅製?の猟師の彫刻も生活観を表していた。
独特の模様を黒と白の石で描いた石畳は、かってポルトガルの植民地だったマカオの広場で見たのに似ていた。
ガイドブックによると、1173年、リスボンの守護聖人サン・ヴィセンテが2羽のカラスに守られてリスボンに運ばれたことから、死とカラスを意味する黒、彼の純粋性を象徴する白をリスボンのシンボルカラーにしたそうだ。

 

  

橋に近い傾斜のある路地を昇るとアズレージョが美しい教会があった。路地では屋台を出して、女性達がちょっとした手作りの作品を観光客向けに売っていた。のどかな田舎の町の雰囲気を感じた。
バスが駐車している運河には、沢山の観光クルーズボートが停留していた。

  

バスに戻り、東南61kmの内陸の町「コインブラ」を目指して1時間走った。
「コインブラ」はポルトガル第三の都市で、ヨーロッパで最古の大学の一つとして有名な「コインブラ大学」が丘の上に立つ町だ。
この大学は1290年に創設された時にはリスボンにあったが、その後1537年に現在地に落ち着いたという。
1911年にリスボン大学ができるまで、「コインブラ大学」は、国内第一の大学として学問研究の中心だった。
男子学生は黒いマントに身を包んで町を歩いていたらしい。

 

大学の古い図書館が有名だが、外部は良いが内部の写真撮影はできなかった。金をふんだんに使ったゴシック調の装飾がされていて、天井まで古書がぎっしりと積み上げられていた。今も手続きをすれば借りることができるそうだ。
ポルトガルがブラジルの征服を本格的に開始したのは1530年以降だ。初めはブラジルから砂糖を大量に運んでいたが、やがて内陸の金鉱を発見してからは、大量の金をポルトガルに運ぶことになった。この図書館をごてごてと装飾してある金も、ブラジルから搾取したものだとガイドが説明した。

図書館の前が下町を望む展望台になっていた。
「モンデゴ川」がゆったりと流れ、オレンジ色の瓦屋根が乗った町並みが美しかった。

  

 

大学から急な階段を下りる途中に、「ファド」を聴かせる店があった。男子学生が出て来て「コインブラ」を歌った。
実は40年近い前になるが、シャンソン歌手・岸洋子の歌うこの歌を私が気に入り、それ以来ずっとコインブラの町をいつの日か訪れたいと思って来たのだった。その思いが今回の旅行になった訳だが、たまたま立ち寄った店でその歌を聴く事ができて、すっかり感激してしまった。

尚帰宅後読んだ本に、同じ「ファド」でもリスボン当たりで歌われているのとコインブラで歌われているのとは少し異なると書いてあった。コインブラの「ファド」は男性、(それも学生や大学卒業生が大半らしい)が、優しく歌い、テーマも女性を愛したり、懐かしんだり、女性との別れを歌ったりするのが多いらしい。それに比べリスボンでは、男女の歌手がいて、歌も豪快なものから人生や運命を悲しむものまで様々だそうである。

  

大学の下町地区も世界遺産になっているそうで、急な階段を下り切ったところに広がる商店街を20分程散策した。菓子店に昔「カステラ」と共にポルトガルから日本に伝えられた「金平糖」が売られていたが、見ると角が無かった。

頭に荷物を乗せて歩いている女性を見かけた。「アベイロ」のタイル画にも描かれているが、ジブラルタル海峡のすぐ南はアフリカ大陸なので、古くからの影響なのかも知れない。あるいは現在も、旧植民地だった国からの移民が伝えているのかも…
自分の目で見たかった「コインブラ」を見られて、嬉しかった。

  

  



コメント (5)
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