花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「コソボ・マケドニア・アルバニア」の旅(4)

2015年03月10日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅠ」ポーランド・コソボ,マケドニア,アルバニア

≪「コソボ」観光≫①

「デチャニ」に行く手前の町「ペーチ」のレストランで、早めの昼食を摂った。なかなかモダンに造られたレストランだった。
最初に食材の全てを一口サイズに切ったチーズサラダと温かいパンが出た。オリーブの塩漬けは好きではないので食べなかったが、なかなか美味しかった。





外に出ると、隣国「モンテネグロ」との国境になっている「ウルゴバ山」が目の前で雪に覆われていた。この国の今の季節は、晩冬なのだろう。そういえば途中で見た温度計は、6℃だった。
町並みも美しく、集合住宅も新しい建物が目を引いた。今まで見なかった様なデザインの家が建てられていた。

「モンテネグロ」は、数年前に娘と「クロアチア」「スロベニア」「ボスニア・ヘルツゴビナ」「モンテネグロ」4カ国を周遊した際に訪れた国なので懐かしかった。
アドリア海の美しい入り江を持つ「モンテネグロ」は造船業が盛んで、当時は日本の船も多く修理されていると聞いた事を思い出した。









再びバスで「ベーチ」から「デチャニ」に向かい、郊外の山懐に入って行き、「セルビア正教会」世界遺産「デチャニ修道院」を観光した。

外門に向かって左側に小さな建物があり、「イタリア」と「スロベニア」の兵士が駐屯して修道院を守っていた。兵士やその建物の写真は写してはいけないと言われた。
理由は、ここが「セルビア」政府の弾圧・攻撃と「アルバニア系パルチザン」の攻撃から守らなければならない「危機遺産」リストの一つで、NATOが指揮する「コソボ治安維持部隊」が保守しているのだという。





資料で調べて見ると、この修道院は1327年にセルビア王「ステファン・ウロシュ3世」が建設を着手したが翌年死去し、この聖堂に葬られている。王となったむすこが建設を引き継ぎ、1335年に完成したらしい。
この聖堂は、現存するビザンチン美術最大のフレスコ画、イコン(1000人程の肖像画)が残され、バルカン半島最大の聖堂でもある。

私達の他には誰も来ていない。中門にユネスコの世界遺産だという金属板が掲げられていた。
こじんまりした聖堂の中に入ると、牧師さんが丁寧に説明してくれた。その人は、世界中で目にする「イエスキリスト」の絵にとても似ていると思った。
壁と天井一面にフレスコ画がギッシリと描かれていて、厳かな空気に満ちていた。また「キリル文字」で書かれた古く分厚い聖書も見せてくれた。「ステファン・ウロシュ3世王」の石棺が置かれていた。
(フラッシュ撮影は禁じられていたので、暗い聖堂の内部は上手く写せなかった)

  

 

見学を終え、外門を出た所に居た迷彩服の兵士に聞くと、「スロベニア」から派遣されたという。私は『北の隣国「モンテネグロ」→「クロアチア」→「スロベニア」ですね。遠い国からの警護、ご苦労様!』と下手な英語で言って握手させてもらった。