≪「アルバニア」観光≫①
人口354万人の「アルバニア」は、北は「モンテネグロ」、東は「マケドニア」と「コソボ」、南は「ギリシャ」と国の三方を囲まれ、西側が「アドリア海」に接している国だ。
ネットで調べたら、次のような歴史が分かった。
この国は紀元前1000年頃から既に古代ギリシャの影響を受けていたことが分かっている。紀元前2世紀にはローマ帝国の支配を受け、ローマ帝国が東西に分かれると、東ローマ帝国の傘下に入った。
14世紀になって「オスマン帝国」が侵攻するが、国の英雄となっている「スカンデルベルク」が阻止。しかし1478年、遂に「オスマン朝」に支配され、その支配は400年間も続いた。その間、地主などの階層の多くが「イスラム教」に改宗した事により、「アルバニア」の風俗が変わって行ったという。
1914年「ドイツ帝国」のヴィルヘルム公を迎えて「アルバニア公国」としたが、公は第一次大戦で姿を消した。
1928年にアフメド・ゾグーが王になって「アルバニア王国」を築いた。
1939年にはイタリアが、1940年にはギリシャが、1943年にはドイツがと、次々と他国に侵攻され続けた。
1944年末に自国のバルチザンとソ連軍によって全土が解放され、社会主義政権が誕生するが、1946年ユーゴスラビアがコミンテルンから脱退するとユーゴスラビアと断交する。
1961年からはソ連を批判、1968年にはワルシャワ条約機構を脱退して、孤立を深めた。そのため経済的に困窮を極めて行き、細々と中国との貿易は続けていたが、1967年に中国に文化大革命が起きると「無神国家」を宣言して、一切の宗教活動を禁じた。
1980年代には「欧州の最貧国」と言われる様になった。
1970年代には核戦争を想定して106の「核シェルター」を建設、1976年からは全国50万個のコンクリート製「トーチカ」を造った。
1989年から反政府デモが起き、1990年から開放路線を取った。
1991年「アルバニア共和国」と改めた。
1992年の総選挙で、共産党政権が敗北した。
1990年には「信教の自由」が認められた。(2004年の信教調査では、「特になし」70%、「東方正教会」10%、「イスラム教」9%、「カトリック教」8%だという)
1990年代に国中で「ねずみ講」が流行した。
「ねずみ講投資会社」は集めたお金を紛争中の「ボスニア・ヘルツゴビナ」に投資したが、紛争が終結すると1997年に投資会社は破綻。その結果、国民の1/3が財産を失くした。
国民を守れなかった政府に批判が起きて、政権を「アルバニア社会党」が握ったという。
この歴史を見ると、国民は時々の権力に翻弄され続けたことが分かる。運命とは言え、過酷過ぎると思った。