≪「マケドニア」観光≫④
「スコピエ」から「オフリド」に行く途中、バスは「ストジャサ峠」の最高地点(標高1234m)にある店で休憩した。前夜降ったらしい雪が残る中、国際色豊かな人達がコーヒーを飲んでいた。
峠を下りる途中に、小さな村があった。羊を放牧している人も見かけた。
「マケドニア」の南西にある「オフリド」は、348k㎡の大きさの「オフリド湖」の湖畔の町だ。しかし「オフリド湖」の真ん中に隣国「アルバニア」との国境線が引かれていて、面積の1/4は「アルバニア」領となっている湖である。
湖は4万年も前にできたといわれ、湖水の水は周囲の高山から流れ落ちたり、地下を通って湧き出す水のために水質が良く透明度が高い。最深部は284mもあり、鱒が生息し、水鳥が遊ぶ湖だ。
また、中世には多くの教会が建てられ、「スラブ世界のキリスト教中心地」となった歴史があり、今でも教会が多い町だ。
それで早くから町全体がユネスコの「自然遺産」「文化遺産」に登録されている。
先ず町の西北にある小高い丘の上までバスを下り「サミュエル要塞」まで登って行った。
ここは10~11世紀「ブルガリア帝国王サミュエル」が、「オフリド」を首都と定めて建造した要塞だ。
石を積み上げた要塞は、1000年の月日をあまり感じさせない程しっかりとしていて、門の傍の急な階段を上って上に上がると、遠くの雪を被る山、眼下に広がる町と湖が見渡せ、曇天の下だったが美しかった。
要塞を出て、来た時とは反対側の山道を下ると、急に「聖ヨハネ・カネヨ教会」が下に見える場所に出た。
この教会は10世紀頃建てられ、ギリシャ正十字の形をした小さな教会だが、湖を背景にして佇む姿が美しく、「オフリド」観光のスポットになっている。内部には1€で入れるのだが、私が0.7€しか持ち合わせていないと言うと、それで入れて貰えた。内部は狭く、古い額に入った「イコン」が沢山飾られていた。
それから湖畔に沿って設けられている遊歩道を東に向かって少し歩くと、11世紀に建てられたが、オスマン朝時代にモスクになった際、フレスコ画が塗りつぶされてしまったのを、第二次世界大戦後キリスト教会に戻され、フレスコ画を復旧したという「聖ソフィア大聖堂」があった。残念ながら、この日は入場できなかった。
さらに進んで広場に出て、そこのスーパーマーケットで1時間程時間を潰してから、湖畔のホテルまで歩いた。
くじ引きで当てたホテルのトリプル用の部屋からは、翌朝、静かに広がる「オフリド湖」が臨めた。
夜が明けたばかりの時間、小雨模様だったがホテルの前を散策した。写真には、右側に突き出た半島の先に「聖ヨハネ・カネヨ教会」が写っていた。
≪「マケドニア」観光≫③
「マザーテレサ」の家を見てから後ろを振り帰ると、「スコピエ城門」が建っていた。何でも首都「スコピエ」を、数年前からパリやロンドンの様な魅力的な都市に造り変える街づくりを始めていると言うのだ。
中心を流れる「ヴァルダル川」に掛かる15世紀の石橋の両側に新しい公共施設が建ち並び、国のシンボルである巨大な「アレクサンダー大王像」の噴水が聳え立っていた。
川岸は公園風になっていて、「美術館」「ホロコーストメモリアル」「独立記念館」「博物館」など、どれもデザイン的に素敵な建造物だった。
また、新たに建築中の建物も目に付いた。
市内には21もの大学があるのだそうだ。2010年の調査によると、高等学校卒業者は80%、国民の識字率は95%と高い。
旅行前にTVの旅番組で「マケドニア」を見たら、1962年に起きたMG6.1の大地震で80%の建物が破壊され12万人が家を失くし、1000人以上が犠牲になったスコピエの再建計画は、日本人建築家「丹下健三氏」が中心になって立案したと報じていた。ここにも日本との繋がりを発見したのだった。
この後、80km離れた次の観光地「オフリド」を目指して、バスは2時間走り続けた。