花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「アイルランドとスコットランドの旅」(3)

2017年05月09日 | 海外旅行「北ヨーロッパ」アイルランド、スコットランド

≪アイルランド「ダブリン」と近郊の観光≫(2)

③「アイルランド国立美術館」
この美術館は1864年に設立され、1015年に改修された小規模な美術館だった。
主な国のオーデオガイドが用意されていて、私達は日本語の説明を聞きながら鑑賞した。



「カラバッチオ」「フラ・アンジェリコ」「モネ」「ドガ」「フェルメール」「ピカソ」など私が知っている西洋画家の作品がぽつぽつと展示されていた。

④「グレンダー・ロッホ」
ダブリンから55km南にある「グレンダー・ロッホ」に行く途中、アイルランド郊外の景色をバスから眺めた。早春の若葉が芽吹きだしたばかりの牧草地で、羊が草を食んでいた。





「グレンダー・ロッホ」はゲール語で「二つの湖の谷」の意味だそうだ。
広い地域に初期のキリスト教会が7つあったそうだが、私達が見たのは「石積みの門」「ラウンドタワー」「大聖堂」「聖ケヴィン教会」「墓地」だった。

ⅰ「石積みの門」は、平らな石を積み上げて作られていた。
ⅱ「ラウンドタワー」は、この地を捜し求めてくる修行者達に遠くからでも見えるよう高さ30mある円筒だった。地面から3mの高さに入り口が作られているのは、ヴァイキングなどの襲撃があった際、梯子をかけて登り、入り口を閉じて、内部に身を隠すためだったそうだ。



         

ⅲ「大聖堂」は屋根が無くなっていたが、簡素な祈りの場だった事が伺えた。



ⅳ「聖ケヴィン教会」は、煙突があるが窓は無いこじんまりとした石造りの建物だった。

     

ⅴ「墓地」では、アイルランドの特有な「ハイクロス」が建てられていた。これは十字と円を組み合わせたものだ。

帰り道、振り返ると黄色い満開の「ハリエニシダ」が生い茂るその向こうに「ラウンド・タワー」が小さく見えた。
「ハリエニシダ」は、あちこちに自生していた。



 

1973年以降、アイルランドでは信教の自由が憲法で保障されているが、現在、人口の95%がカトリックを信仰しているという。




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「アイルランドとスコットランドの旅」(2)

2017年05月09日 | 海外旅行「北ヨーロッパ」アイルランド、スコットランド

≪アイルランド「ダブリン」と近郊の観光≫(1)

アイルランド島は、20世紀に入った1921年に「イギリス連合王国」に所属する「北アイルランド」と、独立国「アイルランド」に別れた。
最初にこの島にやって来た「ケルト人」は、「ヴァイキング」や「ノルマン人」、イングランドから度重なる侵略をされた。
また、アイルランドは、1840年代に農産物、特に主食のじゃが芋が疫病に感染して収穫ができず、飢えたり病気になったりした人達が100万人も亡くなった。
そこで多くの人々がイギリスやアメリカ、カナダ、オーストリアに移住して行った。人口の急激な低下は、アイルランド経済に打撃を与え、農民達は苦しい生活に喘いだ。
1960年代以降、子供の出生率がヨーロッパ一となり、失業率が高まったが、1973年にECに加盟後、ヨーロッパ諸国との貿易が振興して経済的に大きく回復した。

アイルランドは日本よりも緯度が高いが、気候は大西洋を北上する暖流の「メキシコ湾流」の影響で、夏は涼しく冬は暖かい。また、1年中雨が多く、豊かな土壌が形成されている。
しかし、多雨の影響で湿地帯ができた所は、腐った植物の層が堆積して「ピート(泥炭地)」が形成された。この「ピート」を乾燥した物は、燃料として使われて来た。
(国土社「目で見る世界の国々」参照)

「ダブリン」は、アイルランドの首都である。
元はケルト人の小さな町だったが、8世紀に「ヴァイキング」に占領されて、城壁が作られ発展した。
12世紀になると、イングランド王「ヘンリー2世」がアイルランド支配の中心地にした。
18世紀後半には、大英帝国大英帝国第二の都市になった。
19世紀後半から独立運動の拠点となり、1922年、「アイルランド自由国」として独立以降、首都として発展した。
(「地球の歩き方・アイルランド」参照)

①「トリニティ・カレッジ」
1592年にイギリスの「エリザベス一世」が建てたアイルランドで最も古い大学だ。
1712年建てられたという「オールド・ライブラリー」前の内庭では、学生達や観光客がゆったりと過す姿が見られた。此処には500万冊の蔵書があるそうだ。





2階部分が「ロングルーム」と言われる古い図書館は2階建てで、長さが65mあり、一階には「ケルズの書」などの展示室がある。
「ロングルーム」の両側には、最古の蔵書20万冊が天井までぎっしりと納められていた。当初は平らな天井だったらしいが、全て蔵書で埋まったため、1860年に屋根を高くし、現在の逆船底型にしたと言う。
そのクラシックな図書館は、荘厳な雰囲気に満ちていた。

また、15世紀に樫や柳で作られた「アイルランド最古のハープ」が、ガラスケースに収められていた。このハープは、アイルランドが発行するユーロ硬貨のデザインとして使われている。



 

中央の通路の両側には、「彫刻家ピーター・シェーマーケルズ」等が1743年から製作を始めた大理石でできた世界の巨匠の胸像が置かれていた。
その中の二つの写真を掲載したが、右下は「ガリバー旅行記」などの社会風刺小説を書いた「ジョナサン・スイフト」だ。1667年にダブリンで生まれ、「トリニティ・カレッジ」を卒業後、アイルランド教会の牧師になったという。

    

②「ケルズの書」
ケルト芸術の最高峰と称えられる「ケルズの書」は、一階奥にその一部が展示されていた。
この書は、文字やページが装飾されて書かれたキリスト教の4つの福音書で、制作者は9世紀初めにヴァイキングに襲われたスコットランド西方の「アイオーナ島」から、「ダブリン」北西6.5kmの所にある「ケルズ」に逃れてきた修道僧だと言われている。
340枚の牛の皮で作られた書には、150頭の牛の皮が使われたと言う。

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