花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「アイルランドとスコットランドの旅」(5)

2017年05月12日 | 海外旅行「北ヨーロッパ」アイルランド、スコットランド

≪「北アイルランド」観光≫(1)

「モナスターボイス」を後にして昼食のレストランに行った。
その後、バスで北に走ると、間も無く国境だった。
特別の検査も何も無く、バスはすんなりと「アイルランド」から「北アイルランド」の国境を越えた。

「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」という名が、イギリスの正式名称で、「グレートブリテン」とは「イングランド」「スコットランド」「ウエールズ」の3つの地域から成る。
「北アイルランド」は、「アイルランド島」の北端で、面積にして1/6を占めている。

1920年、「アイルランド政府法」によって「北アイルランド」の6州は、現在の「アイルランド」26州とは別の政府を持つ事になった。
1921年12月、「イギリス・アイルランド条約」により、6州はイギリス連邦に留まり、26州は「自治領アイルランド自由国」として自治権を持った。
この時、IRA(アイルランド共和国軍)とIRB(軍事組織アイルランド共和国兄弟団)の指導者が、条約に調印している。

アイルランドのカトリック教徒は分割を希望しなかったが、「アルスター地方」のプロテスタントは「アイルランド自由国」から別れてイギリス連合王国に留まることを望んだ。プロテスタントの政治家達は、カトリックが過半数を獲得できないように、地方選挙ではプロテスタントの貴族に6票を与えるという「選挙法」を作った。その結果、当選者の多数がプロテスタントとなり、カトリックを軽視する政治を行っていった。
1936年、「アイルランド自由国」は、イギリスからの完全独立を宣言して、1949年、「アイルランド共和国」と国名を改め、イギリス連合から離脱したのだった。


①「アーマー」の教会
「アーマー」は、「モナスターボイス」から北に80kmの「聖パトリック」が教会を建てた町だ。
「聖パトリック大聖堂」と言う名の教会が2つ対峙しているが、一つは「アイルランド教会」で、もう一つは「カトリック教会」だ。
私達は先ず「カトリック教会」に行った。

1840年に建設が始り、資金難から1904年に完成したというこの「聖パトリック大聖堂」は、尖塔が美しい佇まいを見せ、内部のステンドグラスも精巧で色鮮やかに作られていた。
また、キリストの一生を表した精緻な彫刻が幾つも掲げられていた。



 

       

北西の丘にあるため、敷地からは町を見下ろす事ができた。反対の丘に建つのは「アイルランド教会」だろう。



次にバスで「アイルランド教会」を訪れた。
こちらも「カトリック教会」と同じく丘の上にあった。
445年に「聖パトリック」が教会を建設した歴史的な場所だが、今の教会は13世紀に建設されたものだという。
内部には、キリスト教以前の神殿や「ハイクロス」もあり、1014年にはヴァイキングを撃退したアイルランド大王が敷地内に埋葬されたらしい。



教会の前がマーケットだったので、見学後に20分の買い物をした。

コメント
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