≪フランスの「ポー村」散策≫
ルルドのホテルを9時に出発して40分程で「ポー村」に着いた。
村にしては立派な駅があって電車が走っていた。駅には改札が無く誰でも自由にホームに出る事ができる。
添乗員が駅にトイレは無いと言っていたが、駅員に聞くとホームの端にあった。
この村には公衆トレが数箇所あるが、1人が入り、終ると自動的に水が流れて清掃するため、5分以上の時間がかかりなかなか扉が開かないのだ。近代的なトイレでもこれでは使い難い。
駅の傍に40m程の高台があった。その上に上がる無料の「ケーブルカー」に乗った。入り口に「フニクラ」と書かれていた。乗ると2分程度で上に着いた。
そこには結構大きい町があり、端には昔の「王宮」もあり、庭はフランス庭園になっていた。
また、昔使われたらしい大きな井戸が残されていた。
王宮内を見学もできたが、時間的に無理だったので止めた。
この「王宮」は、1553年12月13日「フランス国王・ナバラ国王アンリ4世」(ナバラ国王としての名は、バスク語で「エンリケ3世」だ)が誕生した宮殿だ。父親はブルボン家の「アントワーヌ」、母親はナバラ国女王「ジャンヌ」だ。
1589年「アンリ3世」が暗殺されると、フランス国王に即位した。
1598年、40年近い戦争を「ナントの勅令」を出して終結した功績が残る。
母親が「プロテスタント」だったので、彼は「カトリック」と「プロテスタント」を自ら政治的に渡り歩いた王でもあった。
1610年5月14日、56歳の時、急進的なカトリック信者によって暗殺された。
愛人が56人以上いたことでも有名らしい。
1時間自由行動だったので、渡された地図を見ながらぶらぶらした。村役場があったのでそこでトイレを借りた。
奇抜なデザインの「小型電気バス」が運行していた。
役場の向かいに「サンマルタン教会」があったので、入って見た。綺麗な村だった。曇っていたためか、ピレネー山脈は確認できなかった。
帰路は「ケーブルカー」に乗らず、脇の階段を下りてバスに戻った。
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