≪「敦煌」観光≫
「敦煌」は甘粛省の西にある人口14万人のオアシス都市で、交易の町であり、漢代には西域のに対する最前線の軍事拠点だった。
しかし、中央権力の支配が弱まると、常に異民族が侵入して来て占領された。
郊外15kmの所にある「莫高窟」は、中国三大石窟の一つで、支配者が変わったとしてもいつの時代にも造られ続けたという。
現代の「敦煌」の町は「漢代」に造られたものであるという。
①「鳴沙山」と「月牙泉」観光
「敦煌」の南5kmの所に東西40km、南北50kmの広大な砂漠があるが、それが「鳴沙山」だ。
砂山を人が滑り降りると、大きな音が出る事から名づけられたらしい。
入り口から電気自動車に乗り、砂山の傍まで行った。40分程の自由時間に、思い思いに高さ100m程の砂山を登った。気温は31~32度あり、乾燥した砂が熱気を照り返して来る。結構登った所で休んでいた時、子どもを抱いて登って来た父子に写真を撮らせてもらった。
帰りは好き好きに「ラクダ」に乗ったり、電気自動車で帰るのだが、私は電気自動車にした。
「月牙泉」は、谷あいに湧く東西200mの三日月型の泉で、深さが5mある。枯れた事が無いらしい。
「鳴沙山」と「月牙泉」は「敦煌」ならではの景観だった。
その夜泊まった「敦煌」のホテルと、ホテルの近くの町の様子である。
中国もここまで西に来ると、なかなか日がくれない。本当は国内にもう1~2時間時差を設けても良いのにと思った。
②世界遺産「莫高窟」観光
4日目はいよいよ「莫高窟」へ行く日だ。
8時半にホテルを出発して、「莫高窟」の前知識を得る場所に行った。そこは凄く混んでいて、私達は9時からの入場を指示されて待った。45分間のビデオは、「敦煌」に人が集まり、交易の中心地になった経緯と「莫高窟」の紹介だった。
その施設からは写真のリムジンバスに10分乗り、「莫高窟」の入り口で降りて橋を渡り、山肌に造られた石窟を見学するのだ。
専門の研究員のガイドで、幾つかの石窟寺院に案内された。写真撮影は外部はOKだったが、内部はNOだった。
「莫高窟」は紀元366年に「楽尊」という僧が造営をし始め、その地の支配者が漢民族、チベット族、モンゴル族などと変わっても造営が続けられたそうだ。
ガイドブックによると石窟の数は734にも登るという。
1600年以上前から、岩を削り、壁に無数の仏の姿を刻み込んで来た数知れない多くの彫刻師たちや画家たちは、この厳しい砂漠で何を思ったり祈ったりして仕事をし続けたのだろう。
見学時間は僅か30分だったが、ガイドの説明が分かり易く、満足した。
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