[八重山ミンサー織と婚姻制度]
石垣島の「ミンサー工芸館」に行った。
調べたら、ミンサー織りは竹島にもあったが、材料、染料に違いがあり、出来上がった製品の材質が微妙に異なるらしい。
昔、この地域では、伝統的に「通い婚」が行われていて、17世紀になって綿花が栽培されるようになってから、女性が木綿糸を藍で染めて織った細帯を、婚約の印に男性に送った事が、ミンサー織りの始まりだと言う。
必ず五つ目と四つ目の絣の柄を織り込んで、「いつ(五)の世(四)までも末永く」と愛を誓い、「足しげく通って欲しい」という願いを込めたらしい。
ちなみに私の知る日本の婚姻史を簡単に振り返ると、源氏物語に見られるように、日本の各地で昔は母系制の「妻問い婚」(結婚後も同居せずに男性が女性の家に夜通う「通い婚」の事)が行われていたと言われている。
初めは別居婚だった夫婦も、やがてその内、妻の元に同居する「婿取り婚」になって行ったという。
しかし鎌倉時代(1185~1333年)になると、「婿取り婚」をした男性がその内財力、権力を持つようになるに連れ、自分の家を構えて結婚と同時に女性を夫方に居住させる「嫁入り婚」に移行して行く。それと同時に徐々に「父権」が絶対になり、女性の権威は弱まり、女性は物扱いされるようになって行った。
やがて室町時代(1336~1573年)になると、最初から女性が生まれた家を出て男性の家に入る「嫁入り婚」の形が一般的になって行ったと言われている。その結婚で嫁に期待された事は、「家の跡継ぎ」としての「男子」を産むことだった。
「父権制家族」が完成した江戸時代になると、武家に生まれた女性には、「家」のために政略結婚させられる事も当たり前になって行った。
やがてこの家族制度は明治民法に取り入れられ、日本中の家族の規範として第2次大戦終了まで引き継がれた。
1945年の敗戦、1946年新憲法成立によってそれまでの「家の制度」は廃止され、男女が対等な立場で結婚し、協力して家庭を維持するという理念に基づく「法律婚」家族に移行したが、実態は半世紀が経っても、まだ多くの問題を抱えていると言えるのではないだろうか。
DVの問題や離婚後の母子・父子家庭の問題、核家族の育児・養育の困難や放棄、家庭教育力低下の問題などがある。
中でも最近は、不定期雇用の若者に、経済的に自立できず、結婚したくてもできないという切実な問題も出て来ている。
反面では高齢者夫婦家庭の老々介護、一人暮らしの高齢者の生活と介護の問題など、地域から孤立しがちな現代家族の問題は深刻である。
私には八重山地方の詳しいことはまだ分からないが、どうやらここでは、1600年代でも「通い婚」が続いていたらしい。
(歴史では、1609年に薩摩藩が圧倒的な軍事力で当時の琉球国を制圧して付庸国にした後、1879年、明治維新で日本の沖縄県に組み入れられた。)
ということは、ここでは生まれた家で一生を送る「母系制家族」が続いていて、女性の地位も認められ、生活は現代の女性よりずっと安定していたようだ。お互いに嫌になった時は離婚しやすく、子どもは妻の家で家族みんなの手で育てられたのだろう。
小さな島が多い八重山地方では、そんな南国的で大らかな男女関係がずっと長く続いていたことを知った。(亜熱帯の気候も、「通い婚」に有利だったのではと私は思う)
それにしても、女性が細帯1本織り上げるのには、大変な時間と労力を要しただろうなと思った。
今回は3泊4日という短期間の滞在だったが、八重山諸島の気候と風土に私は日本のハワイを感じた。
しかし、最南端の場所だけに、琉球国時代の事、明治時代初めに日本の国の一部に編入されてからの事など、知らないことが余りにも多い事も分かった。
何故、江戸末期に、南方に位置する薩摩藩があれだけの軍事力と徳川幕府に対する権力を発揮できたのか、それを知るためにも明治期に沖縄の一部になった八重山諸島をもっと知る必要があると、気づいた旅にもなった。(終わり)
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そうですね。広い世界には色々な婚姻制度の違いがありますね。ある国の王様は、自分の都合で国の宗教を変えたり、ある宗教では男性のみ4人まで妻を持てるようにしてあったり‥。
アメリカなどは州で離婚できたり、できなかったり。
しかし1980年以降の国際的な風潮は、女性の人権も対等に認め(この場合、家長制度は否定されます) 婚姻は個人の自由意志、人間の尊厳に元ずくものにして行こうという流れでしょうね。
従って、宗教による人権抑圧は最後まで残るかも知れませんが、女性の社会的地位と経済力が上がれば、やがて将来は、どの国も離婚の自由を議論するようになると思います。