花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「オーストリアの旅」(12)

2014年10月17日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪「ザルツブルグ」という街≫①

旅の8日目は、午前中に世界遺産「ザルツブルグ」の市内を観光した。
「ザルツブルグ」は、オーストリアの中央部北側に位置する人口14万人の町で、「ドイツ」との国境に近い。町の名は「塩の城」に由来する。この街の周辺から岩塩が沢山取れ、その販売によって大きな利益を得、発展した町なのだ。
バスは電気で動く「トロリーバス」だった。



一方でこの町は、作曲家「モーツアルト」の故郷としても知られている。

私達は先ずバスで新市街の「ミラベル宮殿」に行った。
ここは1606年に大司教ヴォルフ・ディードリヒ愛人サロメ・アルトと過すために作った大きな館だ。現在は市役所、結婚式場として使われていて、日本からもカップルが来るという。広大な庭園では、ギリシャ神話の神々の彫像や幾何学模様に草花が飾られていた。
立ち上がろうとして後ろ足だけで固定されている馬と噴水など、財力を欲しいままに使った当時の大司教の権力の大きさを表わしていた。

またこの庭園のあちこちにアメリカ映画「サウンド・オブ・ミュージック」が撮影された場所が幾つも残されていた。



 





庭園を出て「ザルツァッハ川」に架かる「シュターツ橋」を目指した。川を前にした角の家が指揮者「ヘルヴェルト・カラヤン」が住んでいた家で、もう一方の角の建物が最高級ホテル「シュタインホテル」だった。
 
 



「シュターツ橋」の欄干には、もう珍しくは無いが、愛を誓う錠前が多数掛けられていた。



橋から高台に目をやると、そこには「ホーエン・ザルクブルグ城砦」が聳えていた。
この城砦は、1077年当時、神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇の争いが起こり、教皇側だったザルツブルグの大司教が建造を始めたという。ここは見学しなかった。





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは! (山の隠居)
2014-10-17 12:10:49
今回はザルツブルク!
地名の由来は「塩の城」ですか~。
世界遺産に登録されてる街だけに魅せられますね!
トロリーバスもいいですね~(^.^)
逆に、今では街のオシャレに見えちゃいますねー(^o^)

今回も楽しませて戴きました(^.^)
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こんにちは (Pione)
2014-10-17 13:05:08
こんにちは。
映画が撮られたところがミラベル宮殿だったのですね。いつ登場するのかと待っていました。
多くの車が行き来している1枚目の写真からは想像できないようなゆったりとした落ち着いた町ですね。
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山の隠居さんへの (ソナタ)
2014-10-17 13:26:06
こんにちは♪♪
早速のコメントを有難うございます。

トロリーバスって良いですね。軌道はないけどファンタグラフで電気を取っているんですね~。大気汚染しないですから。
数百年経っても町の雰囲気が変わらないなんて、日本なら考えられません。旧街道に行けばありますが、寂れた家々が目立ちますね。 
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Pioneさんへ (ソナタ)
2014-10-17 13:34:35
こんにちは♪♪
早速のコメントを有難うございます。励まされます!

この映画は、「ザルツブルグ」と「ザルツカンマーグート」が舞台だったようですよ。
「ミラベル宮殿」では、子ども達が走る場面は、庭園の写真右端のつる薔薇のアーケードで、歌いながら下りる階段は、馬の彫刻の背後に写っている階段だという事です。
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