≪ハンガリーの西端の町「ショプロン」観光≫
「ショプロン」は、「オーストリア」国境から6kmの地点にあり、「オーストリア」側に張り出した人口5万人の西端の町だ。
オスマン帝国の襲撃を逃れたため、旧市街に中世の面影が残っている。
第一次世界大戦の敗北によって「オーストリア」領になる筈だったが、1921年の住民投票の結果、「ハンガリー」領として残ることを選んだ町だ。
ローマ時代から交通の要衝として発展し、ピアノ曲「ハンガリー狂詩曲」などを作曲した「フランツ・リスト」(1811~1886年)の生誕地でもある。「リスト」の曲は音を細かく並べてあって優美なので、私の好きな作曲家だ。
また現在は赤ワインの産地としても名高く、途中の景色には広大なブドウ畑がどこまでも広がっていた。
(リストの像) (新市街の道路脇に造られている噴水で遊ぶ少女)
①「火の見塔」
1409年にローマ時代の遺跡の上に造られたが、1676年の火災で焼失し、再建された。上部はバロック様式、時計は17世紀から動いている。
下の「忠誠の門」は、ハンガリーへの帰属を記念して造られたものだという。
(下の写真の左端の建物は「シュトルノの家」で、14世紀に建てられたもの。「マーチャーシュ王」も滞在した事があるらしい。右側の建物が「市庁舎」。いずれも中央広場に面している)
②「山羊教会」
「ハンガリー」でゴシック建築を代表する協会。13世紀後半、山羊飼いの男が山羊が掘り当てた埋蔵金を教会の建築費用にと寄付したためにこう呼ばれるようになったと言う。
教会の前の広場に「三位一体の像」があった。この像の多くは、どの町でもペスト流行の恐怖が収束したことを記念して建造されたものだ。
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