花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「オーストリアの旅」(13)

2014年10月17日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪「ザルツブルグ」という街≫②

「シュターツ橋」を越えた南側一帯は旧市街だった。
最初に「モーツアルトの生家」が建つ場所へ行った。独特の黄色い色をした建物の4階部分に1747年からモーツアルトの父母が住んでいたという。
父「レオポルト」と母「マリア・アンナ」の間には7人の子どもが生まれたが、成人したのは4番目の女児ナンネルと末子のモーツアルト(1756年1月27日生まれ)の二人だけだったという。
音楽教育者でありバイオリンニストで、当時、ザルツブルグの宮廷音楽家だった父は、早くからモーツアルトに天才振りを見出した。
大司教の理解を得て「ミュンヘン」での演奏旅行を初め、6歳の時にはウイーンのマリア・テレジアの御前でもその才能振りを披露した。
以降、父と一緒にヨーロッパ各地で演奏旅行を成功させた。その傍ら、作曲も手がけて行った。

この「生家」には、彼が使った「クラビーア」(当時の小型ピアノ)や直筆の楽譜、生活用具、肖像画などが展示されていたが、撮影は禁じられていた。

しかし、22歳で母が死去、26歳で結婚した後に父も亡くなった。35歳の12月にモーツアルトは死去したが、死亡原因の特定や遺体や遺骨は、未だどこにあるのか確認されていないのだという。一説によると、当時の社会の黒幕の手で暗殺されたのではとも言われている。

次いで「ゲトライデガッセ通り」に出た。この通りはとても狭いが、両側に商店がぎっしりと立ち並んでいて、それぞれの店が出している鉄細工の看板がユニークだった。(文字が読めない人が多かった時代でも、看板を見れば何の店か分かるのである)

 

傍に「大聖堂」があり、その付近が広場になっていた。広場ではテントを張って屋台が軒を並べ、賑わっていた。私はその一つの店でモーツアルトの絵葉書を買った。



また人形店では、温か味がある手作りの人形が売られていた。



「塩専門店」に行ったが、色々なハーブを混ぜ込んで付加価値を高くした塩が沢山売られていた。一昨年、チュニジアの塩湖で取って来た塩がまだある私は、何も買わなかった。



自由時間に知人と「大聖堂」に入ってみたが、「モーツアルト」が洗礼を受けた洗礼盤があった。また、5つものパイプオルガンが設備されていたが、その1つ(前の右手)がモーツアルト専用のものだったことを知った。



 

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