《1泊クルーズ後、パレルモへ》
アマルフィー観光後、75km北のナポリまで2時間半かけて戻り、バスも私達も大型フェリー「サルデグナ号」に乗船した。①
20時の日没と同時に船はシチリア島のパレルモを目指し、1泊のクルーズに出航した。
私たちには9階のシャワールーム付き外側船室②が与えられたが、部屋を取らずにTV視聴ルームの椅子で休む乗客も沢山いた。7階には売店、レストラン、カジノ、BAR、8階にはキッズルームもあった。
甲板に出ると、ナポリの夜景とその背後に雲を抱いた標高1220mのベスビオ山が見えた。この山は1900年前にポンペイの町を灰で埋めてしまった活火山なので、今でも標高が度々変化するそうである。③
① ②
③
翌朝は4時に起きて身支度をし、レストランで朝食を食べた。それから6時には甲板に出て、ティレニア海に昇る朝日を待った。水平線に徐々に昇って来た朝日は、格別に美しかった。④
やがてパレルモ港が見え、⑤ 船は6時半に入港した。
④ ⑤
下船後、通勤通学のラッシュで賑う朝のパレルモ市内でカテドラル⑥と、メインストリートの四つ角の壁が美しい彫刻で飾られた「クアトロ・カンティ」⑦(四つ辻の意)を観光した。この十字路は、17世紀にバロック様式の都市計画に沿ってスペイン総督が建造したものだという。
歴史を見ると、パレルモは紀元前8世紀にフェニキア人が天然の良港を生かして町を作ったことに始まる。
その後、紀元前254年、第一次ポエニ大戦でローマが勝ったことから、その後の700年間、古代ローマ時代が続いた。
535年からの300年間、ビザンチン帝国の支配下に入ったが、831年、サラセン人が侵入し、948年にはイスラム人の支配下に入った。
1072年にはノルマン人に制覇され、その後、北ヨーロッパの文化が花開いた。フリードリッヒ2世はイスラム文化との融和策をとり、芸術文化を発展させたという。
今から150年前の1860年、独立統一戦争によってイタリアに統一された。
現在のパレルモは、シチリア州最大、人口68万人の商工業の中心地となっているが、歴史的に幾つもの異文化の支配を受けたため独立心が強い人達が多いと言われている。
⑥ ⑦
その後バスで、町から8km離れたモンレアーレ町の丘に建つドゥオモ⑧を見学。
ここは1174年に修道院として建築されたもので、内部は全て金色を基調とした精巧なモザイク画で飾られていた。祭壇正面にあった両手を広げたキリスト像のモザイク画には圧倒された。
ここのモザイク画はヨーロッパ三大モザイク画の一つと讃えられているそうで、アダムとイブの楽園追放やキリストの誕生、聖書の教えなどが全て分りやすいモザイク画となっていて⑨、 訪れる人が後を絶たず、数十人の子ども達の一団が絵の説明を受けていた。
入り口の回廊に少し変わった雰囲気の大きなマリア像が置かれていた。⑩
⑧ ⑨
⑩ ⑪
バスの駐車場の傍に生のオレンジをジュースに絞って売る店があった。中にシチリア特産の果肉が真っ赤で甘味が強いオレンジもあった。⑪ 飛行機で出されたオレンジジュースが、トマトジュースの様に真っ赤な色をしていた訳が初めて分った。
また、パレルモ市街の魚屋では、マグロなどの鮮魚が氷の上に並んでいた。
アマルフィー観光後、75km北のナポリまで2時間半かけて戻り、バスも私達も大型フェリー「サルデグナ号」に乗船した。①
20時の日没と同時に船はシチリア島のパレルモを目指し、1泊のクルーズに出航した。
私たちには9階のシャワールーム付き外側船室②が与えられたが、部屋を取らずにTV視聴ルームの椅子で休む乗客も沢山いた。7階には売店、レストラン、カジノ、BAR、8階にはキッズルームもあった。
甲板に出ると、ナポリの夜景とその背後に雲を抱いた標高1220mのベスビオ山が見えた。この山は1900年前にポンペイの町を灰で埋めてしまった活火山なので、今でも標高が度々変化するそうである。③
① ②
③
翌朝は4時に起きて身支度をし、レストランで朝食を食べた。それから6時には甲板に出て、ティレニア海に昇る朝日を待った。水平線に徐々に昇って来た朝日は、格別に美しかった。④
やがてパレルモ港が見え、⑤ 船は6時半に入港した。
④ ⑤
下船後、通勤通学のラッシュで賑う朝のパレルモ市内でカテドラル⑥と、メインストリートの四つ角の壁が美しい彫刻で飾られた「クアトロ・カンティ」⑦(四つ辻の意)を観光した。この十字路は、17世紀にバロック様式の都市計画に沿ってスペイン総督が建造したものだという。
歴史を見ると、パレルモは紀元前8世紀にフェニキア人が天然の良港を生かして町を作ったことに始まる。
その後、紀元前254年、第一次ポエニ大戦でローマが勝ったことから、その後の700年間、古代ローマ時代が続いた。
535年からの300年間、ビザンチン帝国の支配下に入ったが、831年、サラセン人が侵入し、948年にはイスラム人の支配下に入った。
1072年にはノルマン人に制覇され、その後、北ヨーロッパの文化が花開いた。フリードリッヒ2世はイスラム文化との融和策をとり、芸術文化を発展させたという。
今から150年前の1860年、独立統一戦争によってイタリアに統一された。
現在のパレルモは、シチリア州最大、人口68万人の商工業の中心地となっているが、歴史的に幾つもの異文化の支配を受けたため独立心が強い人達が多いと言われている。
⑥ ⑦
その後バスで、町から8km離れたモンレアーレ町の丘に建つドゥオモ⑧を見学。
ここは1174年に修道院として建築されたもので、内部は全て金色を基調とした精巧なモザイク画で飾られていた。祭壇正面にあった両手を広げたキリスト像のモザイク画には圧倒された。
ここのモザイク画はヨーロッパ三大モザイク画の一つと讃えられているそうで、アダムとイブの楽園追放やキリストの誕生、聖書の教えなどが全て分りやすいモザイク画となっていて⑨、 訪れる人が後を絶たず、数十人の子ども達の一団が絵の説明を受けていた。
入り口の回廊に少し変わった雰囲気の大きなマリア像が置かれていた。⑩
⑧ ⑨
⑩ ⑪
バスの駐車場の傍に生のオレンジをジュースに絞って売る店があった。中にシチリア特産の果肉が真っ赤で甘味が強いオレンジもあった。⑪ 飛行機で出されたオレンジジュースが、トマトジュースの様に真っ赤な色をしていた訳が初めて分った。
また、パレルモ市街の魚屋では、マグロなどの鮮魚が氷の上に並んでいた。
昨年の夏に、イタリアから長女一家が帰国して、
この4月から二人の孫たち保育園に通うようになり
落ち着いてPCの前にいられるようになりました。
南イタリアに行かれたんですね.私は、ローマから
北は、行ったことはあります。今度は、カッラーラ
とフィレンツェに行きたいです。
もし三度目が行けたとしたら南方面にも行きたいと思います。
三大モザイク画興味津々です。いつも思うのですが、石の文化は後世に遺る分、歴史が深いとしみじみ感じます。
一日クルーズ。出来たらもっとゆっくり楽しみたいかも。
船の旅もすてきですよね。
船から見る朝日がとても綺麗です。
建築物を見ると異国に来たな~って実感できますよね。
文化を感じることが出来ますもんね。
sonataさんが圧倒されたキリストのモザイク画、自分の目で見てみたいなと思いました。
娘さんご一家が帰国したんですね。小さいお孫さんたち、可愛いでしょうね。傍で暮らせるなんて楽しいですね。
ところで今回の旅は、想像以上にとっても魅力的でした。
イタリアは150年前まではそれぞれが小国だったためだと思いますが、独自の文化や生活が今も残っているんです。
芸術の都フィレンツェも素敵でした。
lastsmileさん、こんにちは。
写真を撮った時には気づかなかったけれど、甲板は揺れていたんですね。失敗しました。
ヨーロッパでは建築資材として身近な石が使われたので、芸術家の魂を傾けた作品がそのまま残っていくから素敵ですね。製作者達もそのことが分っていたんだと思います。
あばたさん、こんにちは。
フラッシュ禁止なので、キリストのモザイク画はうまく写っていなくて残念でした。
船から見た朝日、日本より7時間遅れで出て来ました。
その内、是非パレルモにも足を運んで見てください。