「厚岸町水鳥観察館」で広大な湿原と大白鳥を見た後、釧路方面に引き返す途中で右手に入り、「厚岸町太田屯田開拓記念館」に立ち寄った。
ここは厳寒と濃霧の厳しい自然条件のこの地に本州各地から入植した440戸の鍬やのこを持ったことがない士族屯田兵が、軍務の他に人力とせいぜい馬力を借りて5000坪の原野を切り開き、現在の厚岸町の畑作と酪農業の基礎を築いた土地である。
当時の「屯田兵屋」が1軒残されていた。記念館は別の場所に作られていたが、当時の資料を集めて展示し、先人達の苦労を後世に伝えていた。
資料によると、屯田兵家族には到着後5日間の食事しか与えられなかったため、1~2ヶ月の間に死亡する人が何人もでたそうだ。
また、当時の「標茶集治館」(監獄)の囚人達が、道路建設や石切り場で石を切り出すという特に厳しい作業をさせられていたことも展示されていた。
多かれ少なかれ明治から昭和期に掛けての北海道は、「樺戸集治館」にせよ「網走監獄」にせよ、政府は北海道の開発に囚人を強制労働させる目的を持っていたと思われる。
北海道の主要道路やトンネルの建設には、狩り出されて自らの命を捧げた囚人達の存在を忘れてはならないと思う。
晩秋のつるべ落としの日没が迫った頃、小さいながら貴重な開拓の歴史展示を学んだ後、ホテルを取ってあった「釧路市」に戻った。
夕食はホテルと契約している店で「海鮮チラシ定食」を食べた。美味しかった。
ここは厳寒と濃霧の厳しい自然条件のこの地に本州各地から入植した440戸の鍬やのこを持ったことがない士族屯田兵が、軍務の他に人力とせいぜい馬力を借りて5000坪の原野を切り開き、現在の厚岸町の畑作と酪農業の基礎を築いた土地である。
当時の「屯田兵屋」が1軒残されていた。記念館は別の場所に作られていたが、当時の資料を集めて展示し、先人達の苦労を後世に伝えていた。
資料によると、屯田兵家族には到着後5日間の食事しか与えられなかったため、1~2ヶ月の間に死亡する人が何人もでたそうだ。
また、当時の「標茶集治館」(監獄)の囚人達が、道路建設や石切り場で石を切り出すという特に厳しい作業をさせられていたことも展示されていた。
多かれ少なかれ明治から昭和期に掛けての北海道は、「樺戸集治館」にせよ「網走監獄」にせよ、政府は北海道の開発に囚人を強制労働させる目的を持っていたと思われる。
北海道の主要道路やトンネルの建設には、狩り出されて自らの命を捧げた囚人達の存在を忘れてはならないと思う。
晩秋のつるべ落としの日没が迫った頃、小さいながら貴重な開拓の歴史展示を学んだ後、ホテルを取ってあった「釧路市」に戻った。
夕食はホテルと契約している店で「海鮮チラシ定食」を食べた。美味しかった。
厚岸の屯田兵資料館からのレポートから、いつの世でも、繁栄の礎を作り上げた元に、こう言う声無き人達の働きがあるんですね!
釧路は出張で10年くらい前に行ったことがありますが、海鮮の食事は良かったなぁ~(^.^)
ホッケもシシャモも大きかったですよ。
私ごとで、失礼しました ~_~; 。
娘さんと二人で良い旅をされましたね~!羨ましい限りです。
牡蠣も海鮮ちらし定食も美味しそう~!食いしん坊のアンジェラはよだれが垂れそうになりました。
今日は午後フラダンスを楽しみました(*^_^*)
今日は北海道で台風一過の雪のニュースやっておりました、そうとう寒いのでしょうね。
娘さんと800キロ走破のドライブ、いいですねー
北海道のドライブって、びゅんびゅん飛ばして走るイメージがありますが、もちろん速度制限ありますよね(笑)
美味しいモノたくさん食べながら、最高ですね
久しぶりに屯田兵を聞きましたよ
北海道の写っている秋の風景がまもなく雪化粧になるのでしょうか・・・
私も今回のスタンプラリーで行くまで、厚岸の開拓をした屯田兵の事は知らなかったので、とても勉強になりました。
釧路には出張で来られたことがあるんですね。
居酒屋の料理は、本当に美味しかったです。シシャモは最近高くて、なかなか私の口に入りませんが、油が乗ったホッケはしょっちゅう食べてますよ。
早速のコメントを有難うございます。
久し振りに娘と3日間共に旅をして、普段よりも少し距離が縮まったような気がしました。珠にはこんなことも必要かなと…
アンジェラさんはフラダンスをしているのですね。有酸素運動ができて健康的だそうですね。頑張って下さい。
いつもコメント有難うございます。
北海道の秋の観光は、例年この時期が最後です。今回も峠の路面は凍結するかもしれないので、スタッドレスタイヤに履き替えて行きました。
今日は、朝から小雨で今朝の気温と午後の最高気温が同じ7℃しかありませんでしたよ。昨日からストーブを焚いています。
あちこちに監視カメラや警察がいて、北海道でもスピードは出せませんよ。