存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

絶えず勉強せよ

2007-02-12 23:19:28 | 読書
老人は僕らの図書館のような存在でもある。
高齢社会において、若い世代は、彼らと話をして得た財産の代わりに無料で彼らの必要とするケアを提供せよ。
一部の若い世代に任せるのではなく、裁判員制度のような仕組みではいけないのか?
障害を抱えている人たちにこそ介護保険や従来の施設を充実させていくことで対応できないか?

今までの医療や薬学やリハリビや哲学で良かったのか?
もっと学ぶべきことや 行動すべきことがあるのではないか?
人は死ぬまで勉強することが出来る存在ではないのか?
もっときちっとした本を沢山読むべきではないか?

本日、YUIのマキシ・シングルを買おうと思ったら売切れていました。
すきりれる音楽盤は擦り切れないけど別の消耗の仕方をするメディアに代わっていくのかもしれません。でも、本質的に変わらないものはあると思う。

村上龍と石原慎太郎と綿矢りさが鼎談している文藝春秋も買い損なった。
綿矢さんの三作目は、消費する人生が一つの側面として見えるようだ。
多くの人が携帯を持っていることが当然のような消費社会
失うべきでないものは何なのか?


コメント (4)
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